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バランス感覚を大事に:不完全だから成長できるということ

思い返せば、バランスボールに乗るよりも、蹴っ飛ばして遊んでいた記憶の方が思い浮かびます。シェアスタッフのもっちゃん(@mi1_kun)です。

やんちゃな幼少期を暴露してしまいましたが、別にダイエットのお話ではありません(笑)。今日話したいのは

偏った視点にならないためにはどうしたらいいんだろう?

ということです。
結論から先に話してしまうと

"I am not perfect!"と「ポジティブに」思い続けること

が大事なのではないか、ということを考えてみたいと思います。

もっちゃんの口癖「バランス感覚」

何かを考えたり議論したりするとき、僕がよくいう言葉があります。それは「やっぱりバランス感覚が大事だよね~」ということです。

例えば社会問題について。あるいは専攻している言語学の話について。果ては今日のお昼のメニューさえ、最終的には「バランス感覚」に帰着させてしまうもっちゃん。

その意図は単純で「偏りの無いように気を付けないとね~」ということ。何事も極端に偏ってしまうと、見えないものが増えすぎてしまう。それを避けたいなという自戒の思いからでる言葉です。

「バランス感覚」。目標としてはこの通りなのですが、問題はそれをいかに実現するか。言うは易し行うは難し。さて、何をどう心がけたらバランス感覚を会得できるのでしょうか?

偏りを認めて正す姿勢

いかにしてバランス感覚を獲得するか。その1番の方法は

自分が偏っていることを認めること

ではないかと思います。

これはいささか逆説的でもあります。けれど、実際、これが1番の方法だと確信しています。

人は誰しも「自分の視点から」ものごとを見てしまうものです。僕は僕の眼球を通してしか、世界を認識することができません。これはもう、仕方のないことです。

同じように、僕は僕の持っている知識、経験、立場を通してしか、物事を見ることができません。どうやったって、知らないこと、したことのない経験、まったく異なる立場の人の視点を100%もれなく持つことは不可能でしょう。

ここで「どうせバランス感覚なんて夢物語なんだ」と諦めたくもなるでしょう。けれど、そこでぐっとこらえることが大事なのではないでしょうか。

つまり

自分は常に偏っている(かもしれない)。だから、常に油断せずに注意し続けよう

と思えるかどうか。それが「偏り”すぎない”」ために必要なものなのではないか、と思います。
「偏りすぎない≠偏っていない」ではあります。けれど、常に偏らぬよう努める姿勢こそが「バランス感覚を持つ」ということなのではないでしょうか。

これはどんなことにも言えます。

例えば、人と仕事をするとき。
例えば異分野の人と交流するとき。
例えば社会問題について考えるとき。
例えば、今日の夕飯の献立を考えるとき。

不完全な自分を不完全と認めつつ、ポジティブに、よりよい形を目指すこと。bestでなくとも、常にbetterを目指すこと。それが、1番のバランス感覚なのではないでしょうか。

常に完璧で居ようとすると息が詰まります。だから「今より1つ良い自分」をコツコツ積み重ねられるか、が大事なのではないかな、と思っています。

おわりに

バランス感覚を実現するために、まず自分にバランス感覚が無いことを認めること。そこからちょっとずつbetterを目指すこと。それが僕の基本姿勢です。

差別問題や学問の在り方について、あるいは僕という一人の個人として「自分らしく」生きるために、僕が考え続けて出した暫定的な答えがこれです。

「自分は完璧じゃない(I am not perfect.)。それでも、今よりちょっと良くなることはできる(but, I can become a little better than now!)」

バランス感覚だけでなく、どんなことにも、どんな場面でも根っこにある僕のモットーでした。

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—あそび、ゆらぎ、むすぶ。—
Share Study β 坂本 瑞生
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