見出し画像

【形而上学で介護】ヤベェ~!奴隷マインドに陥っていたと気づけた。

「形而上学で介護を捉えていこう!」と直観が来た。
これは不思議すぎる体調不良がきっかけかもしれん。形而上学の観点で介護を見ていき、我が家の介護の捉え方・やり方が変わり始め、自分自身の人生と家族の人生も幸せになっていくだろうと確信をした。
モダンミステリースクールで学んでいる形而上学ですが、エリートが独占してきた成功の秘笈(ひきゅう)~意図的に隠されてきた知識~」の本を、朝活の真似でやっていき、自分の気づきの記録をするために書いています。

直感を考察したことを書いたもの


エリートが独占してきた成功の秘笈(ひきゅう)~意図的に隠されてきた知識~」
P3~p8 はじめに いま、この本が必要とされる理由

~気づきを与えてくれた箇所~
 p4「世の中には格差がどんどん広がり、喜びにあふれた人生を送っている人なんて滅多に見受けられない。周りをみても、ちっぽけな幸せで無理やり自分を納得させながら生きている人がいかに多いことか。」

p6「これまで形而上学は王や女王だけが独占してきた「帝王学」だった。人類のために働き、人類を指導する立場の人間に必要な知識と思われてきた。本物の知識を何らかの方法で身に着けた人が、いわゆる成功者と呼ばれる力を発揮できたんだ。一般人はそんな知識があることすらしらせていないから、やすやすと成功者の奴隷にされてしまう。そして自分たちが成功者と同じように壮大な使命を持って生まれていることすら思い出さないでいる」


昨年のストレスと今年に入ってから体調不良で「こんな程度でいいか」と思ったりしていた。介護で母の通院が増えていき、自分の時間がなかなか取れないという悩みがあった。だが、それは「時間が取れない・無理」にフォーカスしていたと気づいた。これをやり抜く気力をストレスは奪っていく。奴隷制度や差別と同じ方法だ。
そしてSNSをみて「好きな時間を作れていいなぁ~」と羨んでいた。これも思い込みである。だって人と自分は違うし、その人がやっている幸せをやっても私は幸せじゃない。一時の幸せよりも、自分自身の持続可能の幸せを得ることを考え行動していかないといけない。それは「すでに在る」という観点が必要になる。すでに在る・・・何があるのかを見ていくと、私の場合はスピリットがアドバイスしてくれてて、自分自身の波動を上げて、場所の波動を上げていくと、スピリットのアドバイスが理解でき、自分自身が行動的になり時間も作れるから不思議。あら、わたし術は知っているやん。しんどい時は休憩をして、体を休ませていけばできる!

今の私の問題が起きていることについて、この問題が解決したら、どのように自分自身の生き方に変化が起きるのだろう?
今の問題について。
①母の通院で、体力と精神力が落ち時間がないと感じる。
➁家事もしたいが体力がついていかない不安。

でも現実的にみていくと、①の問題に対して時間はつくるもの。それに介護をしてなくても、このような愚痴は多くの人たちが言っていること。やべ~奴隷マインドに陥るところや~ん!と気づけた。
➁家事の体力についてだが、本当にそうか?と検証すると。違うという答えが出た。これも「家事=体力消耗」にフォーカスしているだけで、自分の喜びと心地よさが明確に感じられたときは、しんどいけど10分だけやってみようとやってみたら、30分もできたりしている。そしてキレイになったところを見ると心地いい。そして母にもなるべく手伝ってもらえることが増えたし・・・。自分で一人で抱えこもうとする言い訳かもしれん。

ビジョンがあればできるし、自分の心からの喜びを芽生えさせていく生き方を家事と暮らしの中で取り戻し始めている。実際にそうだから、生き方・暮らし方も自分なりに進化成長しはじめ、調和しようとしている最中である。

私のスピリットがみせた10年後の日本経済のパラダイムシフトで「シャンバラの在り方・尊厳を称え合う在り方で繁栄していく仕組み」というものと同じ。今私自身の尊厳を称え、家族の尊厳を称えるという観点でみると、「介護はこういうもの」というネットなどの刷り込みで母や家族、介護を捉えているのだろう。またもやヤベェ~~~状態に陥りかけてたやん。すぐにヤベェ~状態に陥るなぁ。人間って単純やからな、と自分自身に痛感。

壮大な使命として、私はスピリットから見せられている世界平和と繁栄を導くために生まれてきた。「それを見せられるのは理解できる知性があるからだ」と、インターステラ・チャネリングで言われた。
介護の常識でやっても上手くいかない事が多かったし、介護があるから何もできない・・・と嘆くことを癖にするとその通りの人生になるのはわかっていた。事実、自分自身がそうなりかけていた。
世界平和と繁栄、そしてパラダイムシフトしていく観点で介護を見ていくと「自分と関わる人達の尊厳、自分自身の尊厳、そして家族の尊厳、家や物、自然とお庭の尊厳」多数の尊厳を称え合う事がこれからの時代に大切で、それができるから繫栄していく仕組みができる。真の多様性という生き方を介護を通して学べているのかもしれない。
目には見えないが本質を見ていくことで、自分自身の価値観を変え、道を切り開き幸せに繁栄していくことは確かであるから。
瞑想を通して、内なる自分自身の答えが見つかるだろう。それに自分の感情の囚われの癖も見つかると、次に何をどうしたらいいのかもわかる。


よ~く考えたら、私の体調不良が続いたおかげで、夫はより私を労わってくれるようになったし、介護も積極的に手伝ってくれるようになった。今までも手伝ってくれていたが、ルーティンのようになっていて心がこもっていなかった。今の夫は違う!心がこもっている。それに母も自分ができることは積極的にやってくれている。体調不良を通して、家族がより強力的になってくれている。もしかたら自分で抱え込んで、家族ができる事を奪っていたのかもしれない。余裕がなかったから、自分でやっていたのだろう。
不思議な体調不良は、家族も私のことを心から大切にしてくれているという想いを知るために起きていたのかもしれない。そして家庭はみんなで協力して築き上げていくものという事を、今noteに書いて気づけた。
体調不良は大きなメッセージがあるのかもしれない。もっと自分を自由にするために。まぁ~大きな体調不良じゃないし、80%は回復しているからね。意識の再方向付けだろう。

 ____1日たってからの気づき_____
時間がない、体力がないというのが悩みだったが、「わたしは愛されない」という根源的な思い込みがあると気づいてしまった。
「じゃ、どう愛されたいの?」と自問自答して、こういう愛されたいの!というのが自分の中にあった。その愛され方は実在するし、夫もそういう愛してくれていると気づいた。
気づくまでにわたしはこんなことをした。
自分が理想とする愛され方を想像し、それが当たり前の現実になっているという概念を刷り込んでみよう!という遊びをしてみた。そしたら心に余裕ができて、やりたいことがスルスルとできるし、今はムリをしてはいけないとか気づけた。

愛は、自分の体とも会話でき判断できるのだと。
これが自分自身に尊厳をたたえることなのか、と実感した。  

夜は母と楽しく過ごすことができたし、わたしがモヤモヤしていた家事も気づけば終わっていた。
何よりも母が楽しそうで穏やかで良かった。
形而上学は介護にも役に立つ。


わたしが形而上学で介護を実践している本

モダンミステリースクール(MMS) / 支配者が独占してきた成功の秘笈 ~意図的に隠されてきた知識~ (mmsjapan.jp)

形而上学を学べる朝活

オンライン【形而上学 繁栄の朝活会】 (peraichi.com)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?