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【形而上学で介護】絶望を受け入れる人生なんて、まっぴらゴメンだ!

こんにちは!ユキです。
今日も暑いなぁ~。でも三連休は夫婦で部屋の片づけを完成させますよ。
形而上学で介護の記録は、結構いろいろと気づきがあっていいですね。介護を通して、自分自身の生き方と捉え方が内観をしていくことができて、介護の悩みが自分の思い込みでできている部分もあると分かったりして。結構気持ちが楽になっています。

さて今日も「エリートが独占してきた成功の秘笈」の本で、形而上学で自分の在宅介護を捉えていきますよ。

P19~P22
「安定にすり替えられたあなたの夢」

わたしが気づかされた箇所
P20「ダメ相手とダメな愚痴を言い合ったって、結局何も解決しないわけだよ。(中略)絶望を完全に受け入れることなんてあるの?人生ってそんなに簡単に諦められるものなの?それって本心なわけ?」
P21「もし愛する人が死んでしまうと「知って」いたら?大事な仕事なんてほっぽりだして会いにいこうとしない?人生って本当はそんな感じのところだよ。かけがえのない大事な出来事が、もう次から次へと起きまくってくる。一瞬一瞬が貴重で大切なものなんだよ。」


モダンミステリースクール(MMS) / 支配者が独占してきた成功の秘笈 ~意図的に隠されてきた知識~ (mmsjapan.jp)


わたしは「弱音を吐くことはいい」と思っている。でも「自分が何をしたいのか、それをなぜしたいと思うのか?理想と現実の差がなぜできてしまっているのか」という現実的な事と目に見えない何かが自分なりに考察でき、ビジョンで生きてる事であれば、弱音から建設的な会話になる。弱音はつぶされそうになっている現実だけど、何か諦めたくない可能性があるのが弱音だというのが私の捉え方。
愚痴だけで話を続けると絶望しかなく、傷のなめ合いになる。傷のなめ合いになりきった人は、人の可能性を平気でつぶし、自分と同じように足をひっぱる癖があるんだと何度も経験をした。自分と同じレベルで留まらせたいというエゴが起こるという人もいることがわかった。それが愚痴で可哀そうな自分を演出してしまっている。その人に何かヒエラルキーがあるのかもしれん。
愚痴よりも弱音はなんか強さと前向きになれる可能性が、愚痴よりも高くあるように私は感じている。

そんなんで私が介護で絶望したときは、何度もある。そんな時にこのように自問自答している。
①自分はどんな弱音を持ち合わせているのか?
弱音を通して可能性が見えてくることもある。
➁愚痴を言っていたら、その愚痴どのぐらいの期間言い続けている?と自問自答する。
愚痴は癖になっていると自覚でき、愚痴よりも本来の自分が望む現実へとフォーカスしていくことにしていくと、可能性の一歩が見えてくる。

これは小学生の私に祖父が徹底的に可能性を見ていくことを教育されていたからだろう。介護に変換していくようにしている。
形而上学でも、「同じことを繰り返していると衰退する」と学んだ。進化成長が大事という事。

そのためにP21のここが重要だと感じる。「もし愛する人が死んでしまうと「知って」いたら?大事な仕事なんてほっぽりだして会いにいこうとしない?人生って本当はそんな感じのところだよ。かけがえのない大事な出来事が、もう次から次へと起きまくってくる。一瞬一瞬が貴重で大切なものなんだよ。」
愛する人は目の前にいるもんだと気づく事。それは自分自身もそうだし、親やパートナーもそうである。母が喜んでくれると、私の心がパッと明るくなる。だから介護も永遠に続くわけではないし、もしマジで無理になれば、その時には考えに考えて施設という手もあるわけで。今はまだできる気力もあるし、実は時間がないと思ってたのは自分の勘違いだと形而上学で介護の記録をつけて気づけた事である。
ケアマネさんが「お母さんが話せるときは話をして、ケンカ出来るときはケンカして。認知症が進むと話せなくなりますし、死んでしまうと話せないし触れなくなりますから」とご自身の経験で話をしてくれて、それが心に突き刺さった。母の命を守るために在宅介護を決めたんだから、母の命も自分と家族の命も大切にしていきたいんだと。
そんなことを読んでいて気づかされた。
さて、1日このことをかんがえていくんだけど、また新たな気づきが起きそうでわくわくする。


2日たって感じたこと。

ここの部分が私を救ってくれた。

P20「ダメ相手とダメな愚痴を言い合ったって、結局何も解決しないわけだよ。(中略)絶望を完全に受け入れることなんてあるの?人生ってそんなに簡単に諦められるものなの?それって本心なわけ?」

モダンミステリースクール(MMS) / 支配者が独占してきた成功の秘笈 ~意図的に隠されてきた知識~ (mmsjapan.jp)

実母ではなく、夫の義父で絶望することが起きた。
電話で大喧嘩した。
義父を尊敬しているところはもちろんある。だが最近はなんか変。やっかみ、いちゃもんをつけてくることが増えた。それで私達夫婦は疲弊しはじめているので、それを義父に会いに行って伝えることにした。そしたら会いに行く日に電話がかかってきて大喧嘩になった。
この大喧嘩は良かったと、夫婦で思っている。
なぜなら家族で義父に「NO」を言う人はいないからである。このままで一緒に住んだからとんでもないことになる。だから大喧嘩してよかった。

今回の大喧嘩のおかげで、夫が形而上学の朝活のおかげで、かなり成長していると感じれた。
昨年までの夫なら、「めんどくさいことをして~」と言って、真実がどこにあるのかを見ようとしなかった。でも今の夫は違う。ちゃんと事実をみて、義父が変化しないといけないこと、それが義父と共に家族が幸せになれる可能性があることを見れるようになっている。夫カッコイイ!!!と思っちゃった。

そんなんで夫は義父と一緒に住む物件探しをしています。
大喧嘩しましたが嫌いではない。一緒に住んだほうがいいからね。



わたしが形而上学で介護を実践している本

モダンミステリースクール(MMS) / 支配者が独占してきた成功の秘笈 ~意図的に隠されてきた知識~ (mmsjapan.jp)

形而上学を学べる朝活

オンライン【形而上学 繁栄の朝活会】 (peraichi.com)


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