SEXLESS JAPAN
19XX年、地球は核の炎で包まれなかった。
海も枯れず、地は裂けず、全ての生物が死滅することもなかった。
そう、世紀末は来ませんでした。
現在のナイスミドルたち、ナイスじゃないミドルたちが少年時代に思い描いた荒廃した日本は影も形もなく、堂々と先進国のタスキをかけ、都市には近代的な建造物がところ狭しと押し込められています。
しかし、原哲夫先生が描いた「19XX年」は必ず現実と化します。
それは「核の炎」のせいではありません。
もっと身近で、小さな原因。
「セックスレス」です。
「セックスレス 」とは、パートナーとの性交渉がおざなりになっている状態を指す言葉で、主に一方が欲求不満である場合に言及されます。
私自身、そこまで経験ないのですが、レスな状態になっている人は何人も見てきており、その度に同じ男として追悼の意を表明して来ました。
レスがどのぐらい辛いことか分かりますか?
教えましょう。
レスで悩む人に与えられた選択肢は
・我慢する(代替)
・相手を欲情させる
・別れる
の3つしかありません。
「相手を欲情させる」なんてとんでもない事です。
「馬を水飲み場に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」という有名な言葉通り、相手の感情を揺さぶって行動に移させることはもはや神の領域です。
あなたに「カールを食べさせたい!」という性癖があったとします。
でもカールなんて口内の水分を根こそぎ持っていくし、歯にひっつく。
しかし、あなたはどうしても食べさせたい、就寝10分前。
そんな時相手に「カール食べたい!」と思わせるのは至難の技でしょう。
耳元で「どれにつけてもおやつはカール…」と囁き続けますか?
トラウマ必死案件です。無謀でしょう。
ともすれば、自ずと選択肢は
・我慢
・別れる
しかなくなるのです。
延命治療か安楽死か、それしか選択肢がないようなもの。
そのぐらい「セックスレス」は辛いものです。
でもそんなことで「世紀末」になるのか?
そう思いますよね。
「セックスレス」は今後50年で大幅に増えることが予想されます。
そう確信したのは先日渋谷を歩いていた時のことです。
私は幼稚園の「お出かけ」に遭遇しました。
園児たちはペアで手を繋ぎ、お行儀よく行進しています。
ペアにはもちろん「男女」も含まれていました。
男の子は「何ともない」という具合に女の子と手を繋ぐ。
女の子は時折上目遣いで挑発的に男の子を見ては微笑み、綺麗に編んだお下げを指で慈しんでいる。
幼稚園ですよ?
私なんて大学まで女子と手を繋いだことがありません。
それを幼稚園で大学生のシャニカマより8ステージは上に鎮座している。
けしからんではありませんか。
性的な欲情は「手に入らない」からこそ膨らむものです。
カールが大好きなあなたも、東京ドーム23個分のカールをもらったら「カール食べたい」なんて思わなくなるでしょう?
園児たちはすでに異性とのスキンシップに対するハードルが土に埋まっています。
そのうち小学校で性交渉を覚え、成人した時には何一つ欲情しない無機物に成り果てることでしょう。
日本の未来を担うのは園児たちです。
だからこそ、セックスレスの芽を摘んでやらねばなりません。
手をつないでいたら「天誅!」と叫んで、繋がれた手に元彌チョップをかましましょう。
サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。