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僕たちはどう捉えるべきか。

2019年2月1日 午後11:00ごろ

武蔵小山商店街を歩いていた時のことです。
前方からとある男女が歩いてきました。まずは映像をご覧ください。


答えはないのですが、皆さんに問いかけたい。
「彼らは一体何をしているのか?」

パッと見で私は「火の用心かな?」と思いましたが、彼らは一度も「火の用心」と発しません。それにカチカチのリズムがカッチ・カッチ・カチカチ、と妙にクセになるもの。私の知っている火の用心グルーブではありません。


もう一度聞きます。
「彼らは一体何をしているのか?」

おそらく何かを訴えかけたい気持ちがあるのでしょう。
「訴え」「リズム」となった場合、今考えられるものは何か。

「嵐の活動休止」でしょうか。
もしかするとあのリズムはA・RA・SHIのビートを刻んでいる?それともHappiness?

確かに「A・RA・SHI A・RA・SHI for dream!」のリズムには合っている、気もする。極限まで自分を洗脳し続けてしまえばあの二人は大野くんと松潤に見えなくも、ないことも、なくはない、気がします。嘘です。怒られる前にやめておきましょう。


再三聞きます。
「彼らは一体何をしているのか?」

ここまで彼らの目的を問うてきましたが、もしかすると「目的がある」という前提がそもそも間違っているのかもしれません。
子供達が「遊びたいから遊ぶ」のと同じように、もはやああいう風に夜の商店街を「木を打ち鳴らして闊歩したい」からしている、のかもしれない。確かに二人は楽しそうで、仲睦まじい感じはしていました。

でも、なんだかモヤモヤします。

映像を見てもらえれば分かるように、なかなか音が大きいんです。オブラートを切らしてしまっているので直接的に言いますが、クソうるさいんです。Be quietではなく、shut up!!と言いたい。

なぜ、彼らの道楽のために我々一般市民が鼓膜を必要以上に振動させなければならないのでしょうか。あの音を聴かなければ明後日観に行く「7つの会議」で香川照之氏の美声をより臨場感高く聴けたかもしれません。土下座してください。
もし1,000,000歩譲って火の用心なのであれば、ちゃんと自分の喉をすり減らしてでも声を出すべきです。それを「この音あれば、だいたい分かるっしょ」みたいなスタンスで、肩で風きって堂々と歩く、こんな横暴ありますか?

というか、そもそも火の用心って要りますか?
「火の用心、マッチ一本火事の元」って言われて「あ、危ないな!」なんて素直に思う人だったら元々そんな不注意をしないでしょう。そんな労力を使うぐらいだったら、夜勤で疲れている消防士さんの肩でも10分揉んだ方がいい。よっぽど火事の被害を食い止めるのに役立ちます。


最後にもう一度問いたい。
「彼らは一体何をしているのか?」

サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。