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焼かれた交番 明治38年9月5日

日露戦争

日本は国家として最大の目標は達成した。しかし国民にとっては、講和条約の内容は賠償金を取れないなど予想外に厳しい内容だった。これは、いかなることであれロシア側へ弱みとなることを秘密にしようとした日本政府の政策に加え、新聞以下マスコミ各社が日清戦争を引き合いに出して戦争に対する国民の期待を煽ったために修正が利かなくなっていたこともあり、国民の多くはロシアに勝利した日本も戦争により疲弊しきっていたという実情を知らされず、相次ぐ勝利によってロシアが簡単に屈服したかのように錯覚した反動からきているものである。例として、1905年9月1日、大阪朝日新聞は社説「天皇陛下に和議の破棄を命じ給はんことを請ひ奉る」を掲載し、つづいて国民新聞を除く有力紙はこぞって条約反対の論説を展開した。このため、日比谷焼打事件をはじめとして各地で暴動が起こり、戒厳令が敷かれるまでに至って戦争を指導してきた桂内閣は退陣した。

当時の新聞より

無政府=無警察

日比谷公園 全焼
外務省前 半焼
琴平町 全焼
芝佐久間町 破壊
芝公園 全焼
芝源助町 破壊
芝公園入口 全焼
御成門 破壊
飯倉五丁目 全焼
松本町 破壊
京橋出雲町 全焼
新橋雨 全焼
京橋分署 焼失

市民が交番を襲撃し、燃やすという恐ろしい行為が都心でこれだけ起きたのは前代未聞でしょう。
政府とマスコミの問題は酷く、その後軍国主義につながり、国土は焦土と化します。

現代を「新しい戦前」と言う人もいますが、マスコミの偏向報道で人をフルボッコにして、辞めさせたりするとか、類似していますね。

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