梁石目『夜を賭けて』について
見出し画像

梁石目『夜を賭けて』について

軍鶏

 今回紹介したいのは、梁石目(ヤン・ソギル)さん(以下敬称略)による『夜を賭けて』だ。梁石日は、1936年に大阪府猪飼野に生まれ、1950年代後半より、在日朝鮮人の解放闘争にかかわりながら詩作を行った。今回取り上げる『夜を賭けて』は1994年に発表された作品である。

あらすじ

 舞台は昭和30年頃の大阪。朝鮮人密集地域となっていた猪飼野に暮らす人々が主人公である。「なべ底不況」となった日本経済の中、猪飼野に住む人々は更なる貧困の中に暮らしていた。そんな中「あるもの」を契機として物語は動き始める。それはヨドギ婆さんか拾ってきた一つの鉄屑、戦時中、アジア最大規模と言われた軍事工場「大阪砲兵工廠」の跡地から拾ってきたものだった。工場跡に眠る鉄屑が金になることを知った人々は、「アパッチ族」と称し、跡地に侵入して残骸を掘り起こし始める。それを阻止しようとする警察組織とぶつかり合い攻防を繰り広げるも、次第に追い詰められてゆく。
 

 本作で描かれる人々、一攫千金を狙うアパッチ族が暮らすのは大阪猪飼野の町である。「要するに日本人が忌避して住まない場所に朝鮮人集落ができている」 と記される猪飼野の町は、貧困と差別の混在する街であった。私は大阪を実際に訪れたことがないもので、猪飼野地区がいかなる場所であったのかを想像することが難しかった。参考に、猪飼野地区の詩人金時鐘の言葉を述べておく。


  

アジアの盟主を自負していた文明大国の日本で暮らしていながら、年配の人たちならまだしも私と同年輩の若い同胞ですら、ほとんどが義務課程の小学校にも行っていない。下宿先のバラックの周りだけでも十数世帯が寄り合っているというのに、共同水道がただ一つ、共同便所の裏側の近くに蛇口を立ち上げていて、大雨の日など汲み取り口からの汚水がコンクリート敷きの水場のあたりまでゆけゆけになるといった、とてもじゃないが人間が住んでいるところとは思えない、市街の裏通りに押し込められた孤島の暮らしがそこにありました。

金時鐘『朝鮮と日本に生きる―済州島から猪飼野へ』(岩波書店2015)246-247頁)


 ここに示されるような猪飼野地区のありようは、日本で生きる在日朝鮮人にとって、そしてそこに流れてきたものにとって、日本国から排除された「孤島」であったのだ。猪飼野地区の「孤島」は、『夜を賭けて』だけでなくその他の在日朝鮮人文学にも多く描かれている。例えば元秀一の『運河』に描かれる平野川は、木材が川に溜まりヘドロが浮き沈みしているような川である。それを行政は見て見ぬふりといった始末で、そこには公然たる差別が表れていた。多くの在日朝鮮人作家による作品内で描かれるのは、「孤島」化された猪飼野の町、そしてその中で差別を受けながら暮らす人々の悲哀、自身のアイデンティティへの苦悩であった。
 
 作品内で描かれる在日朝鮮人たちの物語―猪飼野という町における差別と貧困の中での生活、生き抜くための屑鉄をめぐる国家権力との攻防、日本のアウシュビッツ「大村収容所」のでの苦闘―は、人々のほとばしる汗、流れる血、臭いたつ生気をありありと感じさせ、我々読者に強いインパクトを与える。梁による他の作品、例えば実在の父をモデルにした『血と骨』もそうであったが、全体的に暗く重い雰囲気が漂い、暴力と性表現が多く描かれる作品世界の中には、目まぐるしく変化する日本で生きぬいた在日朝鮮人たちの力が生々しいほどに感じられる。また、作品内に多すぎるほどに登場する人物たちの様子は、どこかプロレタリア文学に似たようなものを感じさせる。劣悪な環境で奴隷的労働を強いられた労働者の現実を描いた小林多喜二の『蟹工船』における、淡々と描かれるその語り口とは違いこそするが、多くの人々を登場させることによって生まれるパワーにおいて似たものを感じる。
 
 さて、このような人々のパワーを感じさせる彼らの物語は如何なる結末を迎えるのか。以下が本作における最終章となるワンコリアフェスティバルの開かれる大阪城公園でのシーンだ。


  「この公園は戦前、東洋一の兵器工場やったんや。(…)在日同胞が廃墟から鉄屑を掘り起こして、それを生活の糧にしてたんや。知ってるか」
  あたりを見渡し、土を踏みしめながら張有真は姜信基の顔を見た(…)。
「ぼくは三十歳ですから、僕の生まれる五年も前の話ですか。そら、わかりませんわ」
姜信基はわからないのが当然のような表情で笑って見せた。 
「大村収容所も来年取り壊されてなくなるらしい。それで大村収容所も存在しなかったということになるわけや」
皮肉とも諦めともつかない溜め息まじりの声だった。 


 アパッチ族の暗躍から数十年、差別の歴史も、抵抗の証も、その痕跡は同じ「在日同胞」ですら「わからないのが当然」になってしまう程に綺麗に消し去られ、「存在しなかったことになるわけ」である。ここに描かれたもの、大阪砲兵工廠跡で彼らが夜を賭けて生きた、生き抜いた非日常でさえも、テクストの内外において排除され、「隠蔽されていく歴史の物語」の一章になってしまうのである。
 
 『夜を賭けて』だけではなく、幾人もの作家たちが描いてきた猪飼野、そこで生き抜く人々の姿は作品の中で今も血脈が流れているかの如くありありと存在し、彼ら・彼女らの生々しく生きた証は一つの「抵抗」となり我々に強いメッセージを投げかけてくる。抑圧者の言語を用いて、その隠蔽されようとする事実を力強く描いたことにこの作品の強い力を感じられるのではないだろうか。
 
 梁石目作品は、純文学っぽさはあまり無くどちらかといえば読み易いものだと思う。日本で生き抜いた在日朝鮮人の歴史を学びたい方は、是非一度梁石目作品から読んでみてほしい。上述した『血と骨』も読みごたえのあるものになっているのでお勧めだ。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
ありがとうございます、励みになります。
軍鶏
エセ文学徒。