今日から死ぬまで毎日絵を描こう
2007年。19歳のとき、学校に通うために自動車の会社を辞めた。
本当は美大で絵の勉強をしたかった。けど、学費が足りなかったのでグラフィックデザインの専門学校に入学し、イラストコースを専攻するつもりだった。
しかし、1年目の夏のデッサンの講評でグループの下から2番目だった自分は、「目で見たものを描く」という能力が低いことを自覚した。
夏休みが明けて後期のコースを選ぶとき、「椎名はイラストコース以外を選んだ方がいいよ、仕事にするのはちょっとな〜」と担任に言われた。
先生の言う通り、イラストコースは選ばなかった。
そのとき、絵を仕事にするのは諦めようと決心できた。
月日は流れ、22歳になった自分は、小さなオンラインゲーム会社の契約社員(運営部)にいた。その頃にはもう、ラクガキすら描いていなかった。毎日の仕事に追われ、描く時間も、気力もなかった。
2010年の大晦日はゲーム内のカウントダウンイベントを盛り上げる業務だったので、三軒茶屋の駅ビルの18階のオフィスに1人だった。
早朝の田園都市に乗り、端っこに座る。金麦を飲みながらTwitterを眺めていたら、元SMAPの中居さんの名言が流れてきた。
「努力すれば、"成功"は保証されていないが"成長"は保証されている」
絵の場合は、どうなんだろう?
ふと、そんな疑問が浮かんだ。
だって絵は、才能だってよく聞く。
学生時代、「目で見たものを描く」という能力が生まれつき得意な人たちを実際に見てきた。同じ素人なのに、同じモチーフなのに、圧倒的な違いの差があった。
同時に、能力が低かった人たちが時間をかけて成長していくのも見てきた。
そもそも、僕が19歳のときに専門学校に入学した理由は、イラストレーターになりたいわけでも、絵に関わる会社に就職したかったわけでもなく、今より上手に描けるようになりたいっていう、非常にシンプルな理由だった。
そんなことを思い出していたら、電車が着いた。
駅を出て、ふらふらと歩いて帰る途中、近所の神社が視界に入る。
ゆっくりと長い階段を登りながら、気持ちが高ぶってくるのを感じた。
お賽銭を投げて、鈴の付いたデカい紐を大きく振る。そのとき決めた。
「よし、俺は今日から死ぬまで毎日絵を描こう」
帰ってから、学生のときに使っていたスケッチブックを引っ張り出すと、気が済むまで描いた。思い付くがままにペンを走らせた。
モチーフを見ながら描くのは相変わらず苦手だった。
だから、そのとき流れている音楽、頭に浮かんだ言葉、目に入ってきた色、自分の感情などからイメージを得て描いた。
その日から、急に絵を描きたいという気持ちが溢れ出してきた。次の日も描いて、その次の日も、頭に浮かんだ「何か」をスケッチブックに描き続けた。
成功しなくてもいい。成長すればいい。
心からそう思えたから、今日まで描き続けることができた。今はそう思う。
...10年前の自分に答え合わせしよう。
毎日描き続ければ、絵は成長する。
10年間という長い年月の間に、僕の絵は成長した。同時に、僕も人間的に成長した。「成功」とは、経済的な意味だけではないと知った。
まさか自分の絵が海を越え、年齢も文化も言語も全く異なる人たちと通じ合い、リスペクトしてもらえるとは想像もしていなかった。
それから2年後、僕はロサンゼルスにいた。
「2年間、毎日ラクガキ描いてたら、現地のミュージシャンにLAに呼ばれた」
嘘みたいな本当の話。
今月の23日で32歳の誕生日を迎えたので、10年前に神社で誓ったあの日にBack in the day。不定期になりますが、これから少しづつ僕の10年間の成長記録をnoteに記していこうと思います。
よかったら読者になってください。これからよろしくお願いします。
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