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2023.11.8 No.1とOnly one

中学生くらいの頃だったと思うが、
「世界に一つだけの花」という歌がリリースされた。

世間的にはヒットになったのだが、
当時どうしても好きになれなかった記憶がある。
違和感が邪魔をした。

「No.1にならなくてもいい、元々特別なOnly one。」
という歌詞であるが、“誰しもオンリーワン性を有している”とするならば、それは全員が同じ要素を共有する状態となり、他者との差異は生まれない。

したがって、全員がオンリーワンであるとしてしまうと、
逆説的に皆オンリーワンではなくなるのである。

この点が、どうしても腑に落ちなかった。
No.1は、間違いなくOnly 1である。
しかし、Only 1はNo.1ではない。

ただ、ここで私が言及したいのは、
Only 1でもNo.1でもどちらでもよく、
もっと根本的な問題である。

それは、こんな言葉を使わなくとも、
ただ目の前の相手をきちんと見てさえすればいいのである。

この提言は、
それができなかった過去10年間くらいの
自分への戒めも含んでいる。

科学の研究とは、ヒトを機械化する営みである。
少なくとも、私にとってはそうだった。

いちど科学を棄ててみて、初めて生物として自由になった。

結果として、それからの半年ほどは、財布を忘れたり、
スケジュールをミスしたり、計算が狂ったり、
それまでほとんどしたことがないミスが唐突に増えた。

つまり、脳で自分と自分の生きる流れを
コントロールすることをやめたのである。

でも、それでよかった。

短期的にミスだと思えることでも、人間万事塞翁が馬、
その選択や事象が後々よい結果をもたらすことも増えた。

そして更に月日が経ち、
今はそうした“大きな流れ”そのものの法則性が、
自分なりに分かり出している。

これは霊性や精神性を孕む問題であるので、
現代科学では研究とは呼ばれないだろう。


でも、それでいい。

社会に役立つ研究をしたい。
自分が気分良く、自分のための探究をしたい。

そういうのが、性に合ってる。

自分の好きなタイミングで、
急須でお茶を淹れることもできない人生はやだな。

というシンプルな価値観に、僕は生きている。

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