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刺鍼について

積聚会名誉会長 小林詔司

『積聚会通信』No.5 1998年3月号 掲載

当たり前のことだが、鍼師は鍼を扱う。では何のために鍼を扱うかと問うと、その答えは単純ではなく、人により答え方はさまざまである。鍼師としての資絡は鍼を扱うことを習得したものに与えられるが、その資格をー且得たならば、極端にいえば鍼を扱わずに治療を行っても、誰もとがめない。

つまり免許を必要としない他の行為であれば、気功のような手段で治療を行ってもいいし食事指導を行うことで患者さんを導いてもよい。鍼師だから鍼を使う義務はないし使わないからといって罰せられるわけでもない。ただ鍼師のみ(医療に関して全権のある西洋医は別として)鍼を扱うことが許されるというだけである。だから鍼を扱うことは鍼師の特権なのである。

この特権は非常に強力な武器である。患者さんの依頼があれば、その症状がどのように重かろうと軽かろうと鍼師の判断でその特権を行使できる。鍼をすることで体に悪い影響が残らないか損傷を与えない範囲であれば、患者さんの体のどこにでも鍼をすることができる。その範囲であればどんなに深く刺しても構わない。何分間も刺したままにしておいても構わない。

とはいえこの特権は王様が持つ特権とはいささか趣を異にして、鍼師が一方的に患者さんに振りかざすというようなものではない。つまり患者さんの同意や納得が得られなければすぐ行使できなくなる代物なのである。そこでこの特権を十二分に生かすために、日頃鍼の扱いについてたゆまず訓練を続けなければならないという宿命があるのである。

しかしここにまた矛盾がある。鍼は皮膚に刺入しなければならないものでもないからである。どういうわけかー般に鍼は刺さないと効かないと思い込むふしがあり、どうしても皮膚に鍼を深く入れようと思いがちである。

鍼灸師が鍼をもって患者さんに接するのは鍼を待つ資格があるからではあるが、その人に接する意図はその患者さんに何らかの刺激を与えてその悩みを解消しようとするためである。

刺激の意味をよく考えてみると、これは人の環境を変える要素を持ったものはすぺて刺激といえるのであるから、それこそ音楽から始まり部屋の照明の具合を変えたりインテリアを替えたりすることすべてが刺激である。

そのように見方を広くすると、患者さんが治療所に入ったときから、その雰囲気から術者の話し方まで刺激といえないものはないことになる。

この見方でいえば鍼は必ずしも深く刺入しなければならないと決めつけるものでもなく、鍼も接触だけのこともあれば深く刺入することもあり、鍼の太さもいろいろだし出血を促すこともある。さては別のところで手術を受けるようにアドバイスすることもあってよい。

どのような鍼の扱いがベストであるかといえば患者さんの状態にあったものであり、どのようなものがベターであるかといえば、できるだけ刺激は強くないことである。そのようなことから鍼はより浅い刺入でより強い影響を与えられるものが追求されてよい。

ただ、鍼を深く刺入しないで影響を与えるようになるには、いろいろな鍼に習熟し毫鍼であれば深く自在に刺入できる力量が前提であることも事実である。