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灸をする(1)

積聚会名誉会長 小林詔司

『積聚会通信』No.6 1998年5月号 掲載

貝原益軒の著した『養生調』の最後は、鍼と灸の特徴や戒めで終わっている。それも鍼についてはわずか2段で、灸については20段も設けて説明している。

そして鍼の扱いは養生のためには非常に難しいとしていて、灸については非常に好意的に丁寧に書かれていている。

灸については第33段からであるが、そこでまず「人が体に灸をするのはどうしてか。」と問い掛け、「人が生きているのは天地の元気が本である。元気は陽の気で温か<、火に属する。陽気によって万物が生じている。陰血もこの陽気から生じた。」を大前提にして、「病が生じるのはこの元気が不足しうっ滞して巡らないからである。」とする。

さらに灸をするのは、「灸は火気であるから、陽気を助け元気を補う。結果として脾胃が調い、食が進み、そして気血が循り飲食が滞塞しない。体の動きをくるわす陰気である邪気も去ってしまう。」としている。

この本は大衆を対象とした養生の書であるから鍼の扱いについてはほとんど触れず。その反面灸については非常に事細かに書き記している。おそらく灸をすることは単純で誰にでもできるから養生の手段として適しているためなのであろう。

そこで灸について専門家の立場から少し考えてみることにしよう。

灸も鍼治療と同じように艾という物を介して行うものだから鍼治療と非常に共通した面を持つが、鍼治療が動的な治療手段であるのに対して灸はいわば静的な手段といえる。鍼治療は刺手に鍼を持って手技を加えたり皮膚上を動くのに対して、灸は原則として火を付ければその燃えるのを見ているだけだからである。もっとも鍼治療でも置鍼のような方法はかなり灸に近い印象を受ける。

灸が静的な要素をもつということは、灸をする場所つまり穴の選択は非常に重要になってくる。最近穴性つまり穴の特性という言葉が中国からやってきて使われだしたが、これは特に灸をするときに無視するわけにはいかない。

この穴の特性を考えるときどうも二面があるようだ。一つは症状を固定的にとらえそれに対応する穴を固定的に使う方法で、穴の主治症などと表現する。たとえば喘息に膈兪穴としたり胃の六つ灸などのように複数穴を対応させたりする。これらは時には特効穴と言われるが、常にその効果が100%でないところに問題がある。

そこで穴の別の特性を知ることが重要になってくる。つまり体の異常を症状として固定的にとらえないで気の偏りあるいは気血の偏りが症状をもたらしている、と流動的に把握する方法で、穴の特性をその症状の背景にある気血の偏りを修正するのに適したポイントであるとする視点である。例えば失眠穴は不眠の穴という固定的な治療点という意味を持つ反面、上実性の気を下げる働きがあるという一面を待つ。上実性の症状というのは不眠に限らず、顔が赤い、目が疲れる、アトピーのような皮膚症状などを指しているから、その程度や状況に応じて、灸の仕方を自在に変えて使うことができる。

しかし二番目の特徴については。これは灸の作用というよりも鍼の作用に協力する灸の在り方と見るほうが自然であろう。