見出し画像

『あたたかな幽霊』について。※ネタバレ有り

※本テキストにはマーダーミステリーゲーム『あたたかな幽霊』のネタバレを多分に含んでいます。既プレイの方や、今後絶対にプレイしない方のみ閲読して下さい。






ほんとにいいね?






そののちの朝焼けの中日常に似た場所ばかり踏んで帰ったーー中澤系『uta0001.txt』




しばしば、人は愛情や憎悪といった対人性の強い感情によって社会的規範や一般的な倫理を軽々と跳び越え、最も基本的な法(人が人を害してはならない)によって裁かれなければならない事態を招く。

自らの感情三寸で人を殺す。

それを行った人物は現実社会に於いては刑事罰を課されたり、あるいは私刑の対象になったりする。

大抵の創作の物語に於いては、主人公であったとしても、罪を犯した者には罰を与えられる。
暴力を振るった者は暴力によって制圧される。
『息もできない』や『ノーカントリー』で描かれている様に、暴力の螺旋の中から逃れられない人物がいる。

或いは、アメリカンニューシネマの様に無軌道に犯罪行為を行ってきた若い男女は、やがてアメリカンポリスに囲まれて長々とスローモーションで銃殺される。

『ハウスジャックビルド』のジャックは狂人で殺人鬼で、狂気の赴くままに人々を殺したが、やがて最も間抜けな最後を迎えた。

なぜ、自由に作っていい創作の物語でさえ、そのように倫理のバランスを取らなければいけないか。
という問いについては、
・エンタメとして鑑賞者にとって寝覚めが悪いから
・本来語りたいメッセージをぼやかすノイズになりうるから
・シナリオライターの宗教的な観点から
などが挙げられると思う。

特に、主人公格の人物が殺人を犯す様な物語については、その罪禍に与えられる罰や、その人物が背負う業に焦点が当てられ、多くの場合主人公の苦悩や狂気が物語を駆動させる推進力となる。

そうしなければ(つまり、主人公が呑気に人を殺し、如何なる存在からも罰せられずに鼻歌なぞ歌ってエンディングを迎えれば)、物語自体が多くの鑑賞者が持つ倫理観から遠ざかり、親しみの無い、ナンセンスな神話の様な存在になってしまうからだ。

“殺人質量保存の法則”とでも言うべきか。

人を殺しても腹は減る

さて、『あたたかな幽霊』は現代日本に於けるネオ・ノワールである。

フィルムノワールとは、ざっくり説明すると、1940、50年代にアメリカで盛んに作られた映画のジャンルで、大抵“男が運命の女(ファム・ファタール)によって人生を変えられ、やがて社会の暗所に引き摺り込まれ悲劇を迎える”物語を描く。

その潮流が他国に流れ、物語の類型が多様化したものがネオ・ノワールと呼ばれる。

『あたたかな幽霊』のキャラクター2人がそれぞれ罪を背負い、互いに愛し合っているという立て付けは凄まじく、どちらのキャラクターを主人公としても相手がファム・ファタールであり、共犯関係にある2人はもはや闇い世界から逃れ得ないという、完璧なノワール発生装置なのである。

しかし、『あたたかな幽霊』は嘗ての古典的ノワール作品とは一線を画している要素を確保している。
それは物語の中で“社会が殆ど存在しない”ことである。

多くのノワール作品に於いて、罪を犯した主人公は、社会的な外圧、つまり警察組織や記者といった公的な調査機関、或いはマフィアやギャングといった自分以外の犯罪組織に追い詰められることになる。

しかし『あたたかな幽霊』では、現代日本が舞台である故上記の様な種々の組織が存在することを想像することは可能だとしても、少なくとも物語中にはそういった存在は登場せず、HO1の家族に至るまでも存在が示唆される程度で、ふたりの物語の中には登場しない。

また、エンディングについても、2人で生きていくルートはもちろん、2人で死ぬルートにしろ片方が自首するルートにしても、外的な圧力による選択はなく、全てがキャラクター(プレイヤー)の自由に選択できる範囲内にある。

つまり、『あたたかな幽霊』の登場人物は罰を受けない。

この物語には“殺人質量保存の法則”は適用されていないのである。

では、この物語は“ナンセンスな神話”的な、共感を得られない物語だろうか?
もちろんそうでは無い。
このシナリオを遊んだり、鑑賞したものの多くは、しっかりと自分の感情の及ぶ領域まで登場人物の気持ちを手繰り寄せ、想像し、苦悩し、祝福したことだろう。

どうしてこのある種“虫のいい話”に胸を打たれるのか。

それはこの物語が“人を殺したことに苦悩する人のお話”ではなく、徹底して“悲劇の中でお互いの気持ちを確認し合う物語”だからである。

ハナっからHO1とHO2(3)は、犯した罪そのものに対する苦悩はなく、終始愛する人物のことしか考えていない。

ゲーム中の仕組みを思い返してみると、常に、相手に対する眼差しを途絶えさせない様に作られていたことからも、この構造は作者の意図していたところと思われる。

『あたたかな幽霊』はノワールだと述べたが、正しくは“ノワールの立て付けを利用した極狭所的なラブロマンス”であると筆者は考える。
(或いはセカイ系との類似性も見受けられるが、長くなりそうなのでシカトこく。)

つまり、『あたたかな幽霊』の主軸は殺人に纏わる罪と罰ではなく、単に登場人物の恋愛的むずキュン描写にある。

ので、極限状況下でのガチ恋RPをジャンジャンやっていくのが主旨のシナリオなのである。

倫理的なバランスが取れていなかろうと、“社会なんて関係ない!僕達/私達の恋慕こそが肝要なのだ!”という姿勢を貫くこの作品は、プレイヤー及び鑑賞者に“インモラル且つドラッギーな恋愛描写”こそを提供する、官能と倒錯の物語なのである。

静謐

この作品は、鑑賞者を共犯者に変える。悪魔めいた手順によって倫理を跳び越えさせる。後戻りできない領域までプレイヤーを誘う。気付いた頃にはもう遅く、あなたは社会的な倫理規範を打ち捨て、ひっそりと、闇い場所で、怯懦に、秘密の情事の様に胡乱な愛に耽溺しなければならない。

しかし秘事とは得てして甘美なるもの。
あなたにとってもそうだったろう?

見ていた者も居たかもしれないが

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?