風の無い日に I

今日はあまり風がない。無風の暖かい日。そんな日は難聴の調子が良くない。
耳の奥がぼぅっと膨張した感覚だ。

向かい風の日は前に進むことに意識が向き、追い風の日は背中を押されて小走りになる。


だけど無風の日になると、抵抗を受けて前に進むでもなく、背中を押されて走り出したくなるわけでもなく、ふっと自分の奥底に目が向いてしまうのだ。

部屋にいては息が詰まる。

私は以前臨時休業していたタバコ屋へ行こうとその時決めた。前回逃してしまったチャンス、今日は掴みたい。

どんよりした気持ちは、賭け事をしているようなワクワクした気持ちへと変化していく。
よし、吹いてきた吹いてきた。

お気に入りの洋服に着替えて、踵を鳴らす。ドアを開けて生暖かい外に出た。
耳の膨張感は相変わらずだが、さほど気にもならなかった。



着いた。
この間は追い風に背中を押されて店まで走るようにやってきたけど、今日は自分の歩幅でここまで歩いてきたせいか少し遠く感じられた。

店は開いている。
カフェでもなんでも新しい所はあまり得意ではない。しかもこんな純喫茶風の感じのいい店に入るには勇気が必要だった。

せっかく来たんだ。



扉を開けると、ふわっと風が吹き抜ける。

店内にはカラフルな外国のたばこが並んでいて、丁度良い音量でかけられているジャズが心地よい。

私は小さく深呼吸をしてガスマスクの店員に注文をする。

ただでさえ新しい場所での注文は心に騒めきをもたらすのに、ガスマスクの店員となると騒めきどころではない。
しかし、少し小柄なその人を前にすると不思議と心の緊張は溶けていった。

外が見えるカウンターに座り一息つく。
人を介す行為ほど、心に風を呼ぶ物はない。

追い風も、向かい風も、そよ風も全部、
全部人との繋がりから生まれているそんな気がする。
道行く人を見ているとスッと涙がこぼれた。


その時横から大きなネコだ。
見た目には似合わない可愛らしい声でニャーと鳴いた。
足元にいるその子の額を優しく撫でる。

そろそろ注文したものは来るだろうか。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

美味しい珈琲をどうぞ☕️
自分の言葉で少しでもほっこりとした空間が作れたのなら、それが理想です。 どうぞよろしくお願いします。 *タバコ屋不思議本日開店 (2019年2月7日〜)

この記事が入っているマガジン