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【第3章-3 更新しました】中国語学習の道のり

3-3 決断の時がやってきた


2015年11月から始めた通信講座。

当時は週に10時間以上を目標に、中国語の勉強を続けました。そして、職場では二言三言だけでも、話しかけるようにしたり、全く見ず知らずの中国人と話せる機会があれば、積極的に顔を出すようにしました。

例えば、滞在していたホテルで開かれた春節のイベントに参加し、大勢の中国人と一緒に餃子を作ったり、切り絵や飴細工等を体験したりしました。

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この頃になると、少しずつ自分の中国語が上達してきているのが実感できました。そうして、HSK3級レベルの課程が半分過ぎた2016年3月が終わる頃、私は5月のHSK5級の試験に申込みました。

「正直、背伸びしすぎかな」と思いましたが、出向期間が終わる12月まで、あと9ヶ月しかありません。

ダメでもいいから挑戦しようと思っていました。

作文は、中国語の先生に見てもらいながら、模擬問題を解いていきました。

そうして迎えた5月、HSK5級を受けました。

自分の感触としては、五分五分。
読解は思った以上に時間に余裕があり、割とできた感じがしたものの、ヒヤリングと作文は自信ありませんでした。

それでも、前の年にHSK3級を受けた頃、「5級なんて一生ムリ!」と思っていたのに、こうしてチャレンジできるところまで来たんだということが嬉しかったのです。

ギリギリで受かるかもと思ったので、結果を待たずに次の6月の試験は、HSK6級の申込をしました。ダメ元です。

この頃ちょうど端午節の休暇を利用して日本へ一時帰国しました。この時、高速鉄道や飛行機で移動する際に、中国語のアナウンスが以前よりもはっきりと聞き取れる自分がいることに気づきました。かなり感動。

そして、その数日後、HSK5級の試験結果が出ました。結果は合格。

ヒヤリング87点、読解87点、作文83点 計257点 と自分が思っていたよりも高い得点でビックリ。
「ついにここまで来た」という喜びが大きく、憧れの6級が射程距離に入ってきたことを感じました。

しかし、6月に受けたHSK6級は179点で、合格ラインに対して1点足りませんでした。

まだ6級の壁は高いと思いましたが、この頃少しずつ中国人の同僚達とおしゃべりを楽しめるようになっていました。

例えば、食堂でランチを一緒に食べながらのこんな話。

私:「暑くなってきたね」
同僚:「うん、プールに行こうと思って水着を買ったよ。一緒に泳ぎに行く?」
私:「その前にダイエットが必要だー」
別の同僚:「それは私もだよ」
私:「えー、必要ないでしょう」

私が発しているのは本当に簡単な中国語です。でも、中国女子も日本女子間で交わされる会話と同じなんだなと思いながら、こういう雑談をもっとできるようになりたいなぁと思っていました。

南京での生活も残り半年。もっともっと話せるようになりたい。

周りに中国人が居て、いつでも話そうと思えば話せる環境に居ることが、とても貴重なものに思えてきました。とにかく何でもいいから口から出そう。

といっても、見知らぬ人と話すとなると、天気の話しか思い浮かびません。やっぱり日本人だなぁ、私。

でも、構わずグイグイいきます。もう後がないと思うと、恥ずかしさもどこへやら、意外とできるものなのです。

タクシーの運転手さん、会社やホテルの清掃員の人達と、
「今日は暑いですね-」、「最近雨ばかりですね」、「昨日はすごい雨でしたね」等々と話しかけました。

相手の返事が聞き取れない時には、聞こえた音をオウム返しして、それってどういう意味? と聞きました。それでも分からないことの方が多かったですが、1回でもやりとりができればいいや 位の気持ちでいました。

「あと半年で日本に帰れる。日本に帰ったらあれもして、これもして……」と指折り数えて楽しみにしている自分が居る一方で、「あと半年しか居られない」と焦る気持ちを持つ自分が居ました。

そんなある日、中国人の上司に呼ばれました。

「次の成都でのプロジェクトに一緒に行きませんか?」

まさか自分に声がかかるとは思っていなかったので、驚きました。日本に帰った後の青写真もうっすらとできていたので、「次は無いな……」と思っていました。

「声をかけて頂いたのは嬉しいのですが……」と言う私に、彼女は「今すぐ結論を出さなくていいから、少し考えてみて」と言ってくれました。

翌々日、日本人上司から成都プロジェクトの内容や私に期待したい仕事の内容、待遇などの条件等について説明がありました。

成都のプロジェクトに参加するなら、今勤めている日本の会社は辞めなければなりません。成都へ行って、プロジェクトが終わったその後はどうするのか? 会社の看板が無いことの心許なさは、以前に味わったことがあります。

それに、新しいプロジェクトに参加すれば、また激務が始まります。やっと落ち着いて、定時で帰れる日もできてきたのに、またあの日々が始まるのか……。私の心は90%以上、日本に戻るという決心で占められてました。

「この週末、よく考えてみます」と返事をして、上司の部屋を出ました。

日本に帰ってやりたいことって何だっけ?
もし成都に行くとしたら、どうなりたいのか?

そんなことを自問自答し、書き出しました。

日本に帰りたい。でも何かやり残している感覚もあるな。
南京のプロジェクトでは、「もっとこうすれば良かった」と思うことが沢山有ったなぁ。
次のプロジェクトだったら、最初からこういう提案をしたいな。

中国語もようやく上達してきたし、ここで帰ったらもったいないかな。
成都に行けば、もっと上達できるんじゃないかな。

考えているうちに、成都へ行って楽しそうにしている自分が見えてきました。今よりもっといい工場を作り、今よりもっと中国語を使っている自分。

迷うっていうことは、1ミリでも自分の中に「やってみたい」という気持ちがあるということなんじゃないか。

中国での仕事の話も、ある日突然やってきて、その流れに乗ったら次は出向の話がきて、そして今また来たこの「流れ」。今まで通り、これに乗ってみればいいんじゃないか。

そう思うと、もう迷いは吹っ切れていました。

成都に行こう。

翌日朝一番に中国人の上司に自分の決心を伝えました。

「良かった。きっとそう言ってくれると思ってた。成都はとてもいい所だし、一緒に楽しくやっていきましょう」と言ってくれました。

新しい環境、新しい仕事への期待、そして、まだまだ中国語を使う環境に身を置けることの喜びは、未知の世界へ踏み出す不安をかき消していました

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