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対話づくりを通して、〈音楽〉というものを問い直してみたい / 自己紹介2.0 後編


こんばんは、菅野美音(すがのみお)と申します。
このnoteにいらしてくださりありがとうございます 🦜

はじめましての人ははじめまして。いつもの方はいつもお世話になっております。

自己紹介をアップデートしようとしたら熱がこもりすぎて10,000字にせまってしまいました。なのでこう↓前後編に分けています。

【 前編 】
▼ どんなことしてるの
▼ どんなこと大事にしてるの
【 後編 】🐥イマココ
▼ これからしたいこと
▼ それはなんで


本noteでは、「菅野はこれからなにをしたいの?」ということを書いています。
▼ こちらのnoteの続きとなりますので、もし筆者が何者なのかや人となりがまず気になる方はこちらの前編を読んでいただけるととてもよいです。

このnoteも6,000字を超えるなかなか長いものになっております、ゆっくり時間ある時に読んでいただけると嬉しく思います〜!

では、続きです。


私は対話づくりを通して、〈音楽〉というものを問い直してみたい


ライスワークでは従来通りのデザインワークはしつつも、ライフワークではいちワークショップデザイナーとして対話の場づくりを0から積み上げていきたい、と今思っています。

私のワークショップデザイナーとしてのテーマはこちら。

対話づくりを通して、〈音楽〉というものを問い直す

これの「なんで」などを、少しずつ以下掘り下げていきます。


▼ なんで「対話」が大事なの


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芸術や哲学など「正解を定義し難いもの」を問うクリエイティビティや対話を通じて起きる人と人とのつながりは、子どもの創造力を育むだけでなくて大人においても仕事や生活におけるウェルビーイング* を向上させる一助になるのではないか、という仮説が私の中にはあります。

というのも、今の日本の労働環境やこれからの働き方において、対話の場というのは重要なサード・プレイス* になり得るのではないかと思っているからです。

ウェルビーイング well-being  [ より良く生き、満たされる ]

ウェルビーイングというのは、一語で表現する日本語がなく、福祉を訳されることが多いです。
健康、幸福、満足感、快適など訳されます。
良き在り方、良好な状態であり、健康と幸福を包含するような概念と覚えておいてください。

(ぎいぬさんのこちらのnoteより)
サード・プレイス Third place

サード・プレイスとは、コミュニティにおいて自宅や職場とは隔離された、心地のよい第3の居場所のこと。アメリカの社会学者レイ・オルデンバーグは、家庭(第 1の場)と職場(第2の場)を往復するだけというストレスの多い現代社会を生き抜くには、潤滑油の役割を果たす場所が必要だと考えた。

カオナビを元にした概略)

私が昨年抑うつにかかって必要としたように、日本においてもこの概念やことばもだんだんと浸透してきつつある、必要とされつつあるのかなと感じています🤔 ( 厚生労働省の調査で「仕事や職業生活で強い不安、悩み、ストレスがある」と答える労働者は軒並み半分を超えるのですよ…。 )

ILO(国際労働機関)もこれからの時代に向けて「人間中心アジェンダ(Human-centred Agenda)」というスローガンを提唱しています。単に経済成長や利益拡大を追い求めるのではなく、誰もが人間らしく生きていける働き方をどう実現していくか、という観点は国際的に共有されつつあります。

またなにもサード・プレイスは労働者のためだけの場ではありません。

立場や肩書きは一旦脇に置いておくものとした本当にフラットな人間関係でいられる対話の場においては社会的マイノリティな人も居やすいユニバーサルなサード・プレイスになり得るのではないでしょうか。


▼ どんな「対話」の場をつくりたいの


・心理的安全性を担保する
・誰しもフラットな関係性である
・「いる」だけでもよい
・「事実」を抱きしめよう
・哲学対話の場づくりとは「時間のデザイン」であって、体験のデザインではない

こんなことを特に大事にしながら、私は対話の場づくりをしています。

みなさんは「哲学対話」というものをご存知ですか?

「哲学対話」という対話の場がまさに私が大事にしたいものを具現化していて、仲間と作ってみた #耳が築く も、自分で作ってみた デスカフェ も、哲学対話の文化や空気を参考にした部分が大きいです。今後もずっと大事にしていくんだろうな、と思っています。

ざっくりいうと自由に考えることを第一にしながら、人と共に「問い、考え、語る」場のことです。

(1)何を言ってもいい。
(2)人の言うことに対して否定的な態度をとらない。
(3)発言せず、ただ聞いているだけでもいい。
(4)お互いに問いかけるようにする。
(5)知識ではなく、自分の経験にそくして話す。
(6)話がまとまらなくてもいい。
(7)意見が変わってもいい。
(8)分からなくなってもいい。
この社会には「語る自由」がない【リバイバル】/梶谷真司 より)

一般的な哲学対話の場にはこのようなルールがあって、私はこれに「立場や肩書きは置いておく」という9つめのルールを付け加えていたりします。

ルールを見れば分かる通り、すごく居やすい、自他を素直に認められやすいんですよね。初めて哲学対話を知ったときには「こんな場があるのか…!」と驚いちゃいました。

先ほど挙げたこれらについて。

・「事実」を抱きしめよう
・ワークショップデザインとは「時間のデザイン」であって、体験のデザインではない

ワークショップのファシリテーションの手法として二種類あって、「時間のデザイン」をする手法と「体験のデザイン」をする手法とある と(個人的に)思っています。

時間のデザインとは「私はこんな場と問いを用意しておくので、どうなるかは参加者に委ねます」というスタンスで
体験のデザインは「私は参加者にこれこれこんな体験をしてほしい、こんな学びを持ち帰ってほしいからそうなるための場をつくります」というスタンス。

目的ありきのワークショップデザインなら後者が適切なデザインとなりますが、哲学対話的な場であれば後者のスタンスでは自由ではないですね。答えのない哲学対話の場において人様の体験をデザインする、なんてそんな傲慢なことはできません。価値観の押し付けになってしまいます。

たとえ同じ時を過ごしていてもその感じ方は一人一人差異ありますし、そこに優劣もありません。それを「今日この場はこうなったね!こんな学びがあったね!」と結果を総括することは絶対にしないようにしています。そのためにはファシリテーターはただただ事実をみつめ、受け止め、語ることが大事だと思っています。

▼ なんで美術専攻してるくせにやたら音楽関わりたがるの


それはもうやりたいからというもはや理由になってない理由なのですが、その" やりたい "というどうしようもないパッションの根元は いわば自分の使命だと勝手に思っている部分が大きい気がします🤭

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(名刺に刻んでいる自分のロゴ。音楽のエッセンスを入れてデザインしてます)

私の下の名前は「美音」と書いてみお、と読みます✍️
偶然なのかなるべくしてなったのか、私は名前の通り" 美 "術と" 音 "楽をこれまでやってきています。…とはいっても、家が音楽教室なのに起因して歴は音楽の方が圧倒的に長いのですが。

去年のnoteにも書いた通り、私は高校受験のときに一度音楽を辞めています。それでも辞めたからこそ好きになれたことやもの、好きになれたから今出会えている出会いや気づきがとても多くあったので辞めてよかったなと今でも思っています。

今デザイナーという職業をしているのもクラシック音楽をやっていたというルーツにつながると思っています。デザインもクラシック音楽も前述で言う「1→10」の行為であるので。
それを身に付けさせてくれたクラシックは、小さかった頃の不器用な私にとって とても大切な表現の手段のひとつでした。お世話になった作曲家、作品たちに感謝…!

そんなこんなで、私の人生や今の職業に大きく影響を与えてくれた音楽にはもう感謝してもしきれないものがあるわけです。そんな経歴を持っていて、演奏家という立場ではない私だからこそできることをしたいな、と常々考えています。


▼ なんで対話×音楽なの


音楽、それもことばをもたない時間芸術だからこそできること。それは鑑賞者奏者者各々の純粋な「今、ここ」を見つめることができるということではないかな、と思っています。

聴覚って、逃げられないからこその怖さとおもしろさがあると思っています。見たくないものだったら見なければ済むし、臭いものは近づいて嗅がなければいい。そんな「シャットダウン」が、完全にはできない感覚が聴覚ですよね。


そんな「逃げられなさ」を孕む時間に向き合い、今、自分がどんなことを感じたのかを思ったり、ことばにしてみたりする。それによって今までにない新たな発見に、気付けるんじゃないか。


以前みんなとつくったワークショップ #耳が築く で、こんなことをみんなで考えていました。画はゆーのさん( @yunosuketanaka

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「わたし」と「音楽」があったとき、

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意味的にも物質的にもそのふたつは交わっている。

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私たちがスタート地点にしたい交わりは 物質的な「わたし」と「音楽」が交わる" 事実 "で、そこからひろがるもの交わるものはこんなことがある。

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そして「音楽する」とは、このサイクルを回すこと。

そのサイクルをみんなで回し合って、みんなで創っていく場。そんなクリエイティブな音楽を感じる場があったら、ワクワクしませんか?


前述した" 自由に考えることを第一にしながら人と共に「問い、考え、語る」場 "って、正解を定義し難い芸術と触れ合うにはベストマッチな場ではないでしょうか?

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時間によって忘れ去られてしまう「今、ここ」を逃さないためにはどうすればいいか。 それは  #耳が築く で行ったように音楽をことばで紡ぐことをしてみたり、対話をグラフィックレコーディングしてみたりすることで解決できそう。
そうすることで想像だにしないクリエイティブが起こるタネをみんなで探すことができそうだ、と実践してみて強く思うようになりました。考えるだけでもワクワクしちゃうな…

私は前述の「正解を定義し難いもの」のひとつに音楽というものを当てはめて、その場にいるひとりひとりが純粋な「今、ここ」を見つめる場を用意すること、音楽の対話を可視化することの可能性をすごく探りたいと思っています。

プレイヤーとリスナーの中間に立っている私だからこそ、そしてこうして対話の場づくりをしたいと思う私だからこそつくれるものだな、とも思っています。(私の知る限り)誰もやってないなら、つくりたい。


▼ 対話づくりと音楽とを掛け合わせて何をしていきたいの


" 音楽は演奏するものだ "
" 音楽は聴くものだ "

そのように多くの人の頭の奥にひっそりとある、二項対立の関係性を揺さぶりたい、と思うのです。

最近になってワークショップやレクチャー、トークを盛り込んだ演奏会が増えてきつつあるものの、まだまだ 「芸術音楽はただホール行ってじっと静かに座って「聴く」だけ」 こんな概念が広く知れ渡られてる気がしています。

ファンにとってはそれでいい/それがいいと思う人が大半なものの、今まで触れたことがない人や行きたくても行けないと思う人にとってはむしろマイナスイメージとなりかねません。それって、すごく悲しい。
そんなマイナスイメージをもし持っている人がいたら、その考え方をそっと広げるお手伝いをしたいですし、鑑賞者にとっての主体が「自分」にあるような芸術音楽の新しい楽しみ方を提案したいのです。


これはニューヨーク近代美術館MoMAの認知心理学者ハウゼンが分類した、美的感受性の発達段階。

①物語の段階
自分の記憶や経験からの「好き」「嫌い」で作品を自分ごと化しようとする
②構築の段階
自分の知識や社会的道徳的な価値観を優先して「価値がある」「価値がない」という感覚をもつ
③分類の段階
別作品や歴史的、文化的なデータをもとに客観的に批評する
④解釈の段階
自分の主観や感性にあった出会いを求め、意味を見出す
⑤創造の段階
個人的なものや普遍的なものを複雑に組み合わせながら、考え、わからないことを喜びをもって解き明かす

(各種文献をもとに要約しています、あしからず)

心理学は専門でないのでこれが音楽鑑賞にも当てはまるかは確証を得ませんが、少なくとも美術鑑賞においてはこんな発達段階があるとされています。

これをむりくり音楽に当てはめるとするならば、現段階 ③分類の段階 のコンサート/ワークショップ/レクチャーの需要も供給も多い気がしてきます。でもそれが刺さるのって、①と②を経験してきている音楽関係者や長く定着している既存ファンが多くなってくるのではないでしょうか…。

私が創りたい対話による音楽の場は ①物語の段階 を重んじるもの。自分にとっての直感的な「好き」「嫌い」を感じてみたり見つけたりしない限りはその先には到底行く興味ももてないのではないでしょうか。

今ある音楽文化につなげる橋渡しとして、そして私だからこそできることとして、私は①物語の段階さらには②構築の段階に進める橋を創り、今活躍する音楽家の方々につなげたい。


私は、なにも「音楽」というものは、「音を奏でること」だけではないと思うのです。
音楽をする人間だけではなく音楽を聴く人間も居ればその人の行為も「音楽」であり、「対話」であり、「共創的な空間」に居り、「自立的な個」である、と思うのです。

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音楽を行う人とみる人が交わって有機的な音楽が在った空間を、#耳が築く では創れたはず。それがなぜ面白いのか、もっともっと知りたい。創る自身もわからないからこそもっともっと創ってみたい。もっともっと、見てみたい。

でもやっぱり音楽は対話だ、という感覚をいろんな人と一緒に形にしながら共有していけたら、楽しいだろうな〜〜〜!


…と果たしてまとまっているのかわかりませんが、こんなことたちをあれこれ考えながらしばらく

対話づくりを通して、〈音楽〉というものを問い直す

このテーマをを探り続けてみたい…と思っています。


学術的なワークショップデザインやファシリテーション、アートマネジメント、哲学、心理学、現象学などもじわじわと知見深めながらどわーっと面白いことを仕掛けていくつもりです!

とてもオフラインで場づくりをできる情勢ではないのでオンラインでのワークショップ開催+グラフィックファシリテーションを中心に、哲学対話の場や音楽の公園、つくっていくぞー。情報は順次公開します。( あらゆるが安心してオフラインの場づくりができるよう、はやく世が元気になりますように )

これを読んでいる方でもしこのnoteを読んでワクワクしてくださったのならあそびにきてくださったら嬉しいですし、連絡くださったらもっと嬉しいです🥳


ざっくりと、菅野の対話と音楽への想いは伝わったでしょうか…?

長い長い記事を最後までスクロールしてくださりありがとうございました🤲

「対話」を大切にする共創デザイナー 菅野美音(すがのみお)です、" 美 "術と" 音 "楽のひと、と覚えてください。どうぞよしなにお願い致します。


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それではっ

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