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人生のピーク

人生にはきっと幸せのピークがあって、誰にでもそれがあるものだと思っています。でもその感じ方や、大きさというのは個人差があって。それが誰もが「幸せだ」と感じることのできない原因の一つだと思っています。

つまり、自分が求めている幸せと現実に享受している幸せに大きな乖離があるということです。

子供の頃は自分が幸せなのかどうかなんて考えたことがなかった。毎日をただ生きている。それが子供時代だった。僕が人生を考えるようになったのは中学3年くらいですかね。

成長に伴って、いろいろ考える力がついてきたんだと思いますが、それからというもの、20年以上僕は人生について考え続けています。

よく「あの頃はよかった」という話をされる方がいます。子供の頃は早く大人になりたいと思う。でもいざ大きくなると「あの頃は」という考えばかりが出てきて、なかなか未来に大して前向きな思考になれない人が多いんじゃないかと感じています。それはこの国の病気でもある、とすら思っている。

人生の幸せのピークがわかったら、こんなに楽なことはありません。「それは今だよ」と言われ「このレベルでか!」となる人もたくさんいると思います。「運命」という言葉がありますよね。この言葉をあまり信じたくはないのですが、もし運命が決まっているのなら、その人に訪れる人生の幸せの大きさも生まれたときから決まっている、ということになります。それを知ったら「自分の人生なんて」となってしまう。だからきっとわからないようになっているんだと思ったこともあります。不公平です。誰だって幸せになりたいと思う。他の人がうらやむような生活を手に入れたいと思うんです。

生まれたときから資産家の人。生まれた家が、お金持ちだとは言えない人。むしろほとんどの人はお金持ちではありません。さっきも言いましたが、子供の頃は人生のことなんて考えなくてよかった。でも大人になると、いろんなことがのしかかってきて、考えてばかりになる。自分のことじゃなくて、自分以外の誰かのことばかりを考えなくてはならないようになる。それが苦痛に感じてしまうことだってあると思うのです。

人生は不公平だということを、なぜ学校では教えてくれないのだろう?と思ったことがあります。そのまま教えてくれればいいのです。道徳の授業で「思いやりが大切」ということ以上に、世の中の現実を教えることは大事だと思うのです。子供達が希望を見出せなくなる?そんなことはないと思います。いずれぶち当たる問題なのです。だからこそ、それに向き合う気持ちを育む授業を行うことが大切なのでは?と思ってしまう。僕は教育の専門家ではないので、これ以上のことはやめときます。

もしこの先30年後とかに幸せのピークがあるとしたらどうでしょうか。今30歳の人だとしたら、人生のピークが60歳に訪れることになる。そのときまで生きているのだろうか?食べるものにも困るような生活を送っているんじゃないか。それが幸せのピークだとしたら悲しすぎるじゃないか。なんてことを思う。

現実的な話、人生で幸福度が高いのは「自分が好きなことをして、それがそのまま仕事になって、生活できている。そして嫌なことは寝たら忘れる」という人たちです。そうなりたいのに、世の中には自分の好きなことがわからなかったり、何日も同じ悩みでストレスになっている人だってたくさんいます。その人達は「そういう人もいる。不幸せも仕方ない」で片付けて良いのか?

なぜ、生まれた時から人生に優劣が生まれてしまうのか?考えています。この世のすべてを解明することはできないし、超能力も持っていません。せめて「あなたが生きている意味はこれだ」という人生の指針がわかるような世の中になっていればもっと世の中は素晴らしいものになるのにと、とんちんかんなことを考えたりもします。これは宗教的な「これを信じれば救われる」に似ているような気がして、ものすごく信憑性がないことでもあります。

生きる意味について考えていると、終わりがありません。次から次に悩みが出てきて出口のないトンネルの中に迷い込んでいるような感覚になります。考えることをやめてしまう人もたくさんいると思います。でも心のどこかに引っかかっているこのモヤモヤを少しでも削っていかないと、心の空きスペースがどんどん少なくなっていく。

前を向いて生きていくしかない。そして進むしかない。同じ日は二度とやって来ない。

それだけなんですけどね。

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