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そうだブログを書こう

そうだブログを書こう。と何度も思って何度もやめた。
あがったりさがったり、誰のせいでもなく忙しない自分の人生に振り回されて疲れることが増えた。
そうするといろんなことへの気力がなくなって、なんにもできなくなって、気付いたら何ヶ月も経っていたりする。
そんな毎日です。こんにちは

今日Twitter(現X)でとある方のファンのツイート(ポスト)を見た。
そこには大きな大きな 好き があった。
ファンと演者のすれ違いについて書かれていて、妙に納得した。発信する側もされる側も同じ今を共有することは難しいこと。ましてやそこに気持ちまで乗ってくるのであれば尚更。そんなことが書いてあった。

うまくいかないこともあるよ、にんげんだもの。
言ってしまえば単純なことなのにね。不安や欲、悲しさや焦りのせいで純粋に”好きだから応援する”ということが出来なくなることがある。それもまた、にんげん だからなんだけど。

自分自身も何度か身を持って経験したことがある。結婚や脱退、様々な理由で突き付けられる現実(ずっと知らなかった好きな人の一面)を見て、知ったとき。
大きな不安に飲み込まれて、自分の過去さえも嘘になってしまったような気持ちになる。
知った気になって驕ってたんだなと自覚して、自己嫌悪して、悲しくなって。勝手に裏切られた気になって、なんなら少し怒ってみたりして。
でも根底にあるのはたぶん 寂しさ だと思う。
こんなにも好きなのに、私はあなたのことを微塵も知れず、見ることもできていなかった。と。

普通に当たり前のことなのにね。すべてを知るなんてのは到底無理で。普段からの自分の欲深さに気付いてないみたい。
なるべく同じことを繰り返さないように、と生きているけれど、これがなかなか難しいの。

前提として私の好きな人は不器用な人が多い。真っ直ぐな人だ。だからこそ大きくすれ違う。
言葉を慎重に選べば選ぶほど喋れなくなるような人もいれば、伝えないと気がすまない人もいる。
そんなあなたにとっての今と、自分軸の今はちょっとやそっとじゃ交わるものではない、と。

じゃあ共有できるものを大切にしなくちゃいけない。
もっともっと。

会いに行って、あなたの今を知ること。
じぶんにできること。

あなたの言葉で、あなたの気持ちを知りたいと思う。

こんなファンはもしかしたら嫌いかもしれない。いやあなたはきっと、ちゃんと、いつだって耳を傾けてくれてたね。
そんなあなただから好きになったことを忘れちゃいけないと思った。


これは恋に似たような愛だ。
重くて気持ち悪いぐらいが丁度良いのかもしれない。(いいわけない)

一方的で、自己満足で成り立つファンという世界のなかで、自分から苦しみにいっているみたい。笑

話が散らばったけど、、、
おたくは推しが心配です。日々きずついてないか?悲しんでいないか?今日も笑えているか?
あなたが幸せでいてくれますように。

ということです。

みんな無意識の内に推しに理想を描いている。それは単純に好きになったキッカケもあるだろうし、決めつけもあるだろう。
私も過去に”この人はこういう人だ”と思い込んで勝手に傷付いた。推しが見せてくれている部分が全てじゃないこと、わかっているようでわかってない。
勝手にイメージをつけてしまって、そんな推しが好きだと口にしてた。知った気になってた。

でもきっと、推しにも見せたい部分とそうじゃない部分があって、それを伝えることを日々考え、言葉や行動を選んでいるのではないか。
人は脆く、強くあり続けることは困難だから。少しでもファンとの空間が良い場所であればいいなと思う。
安らげる場所でも、楽しめる場所でも、なんでもいい。
そこにしかない、あたたかくて優しい空間であってほしい。

本気でそう思ってるし、そのために自分がやれることはやっていきたい。
今まで出会ったたくさんの好きな人たちとの思い出は、性根のひん曲がった私が今ここに存在する理由だ。

もっとカジュアルでライトなファンでいられたら楽かもしれないんだけど。笑

私はそんな生き方しかできないから。
今日も推しを思って生きていくよ。って話でした。

読みづら。文章まとめるのへたくそか。

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