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長い鬱病が治った話


この記事は、「長年鬱が治らなくて途方に暮れている(という人が身近にいる)」「もう治らないんじゃないかと絶望している」そしてもう過去のことになっているとしても「親との関係」という言葉に思うところのある人向けの内容です。

あくまで私の体験と主観の話だけれど、約6年間の苦しみや絶望が、少しでも誰かの力に希望になればと思って書きました。


・鬱は「治る」んじゃなく、「ベクトルの全く違う変化を起こす」ものだった


細かいことは後述するけれど、この6年間、鬱の原因になりそうなこと全てを変えてみた結果、びっくりするほど何も変わらなかった。

原因がなければ解決のしようがない。打つ手無しと途方に暮れて、時にパニックや認知症に似た症状(のちにこれは聴覚過敏とか低血糖症も相まったせいだと発覚した)にまで発展して絶望一色の中で、出会った一冊の本がある。


以前とあるクリニックで、双極性障害だろうという診断と共に下された「治ることはありません」の言葉が、じわじわと私の中に入り込んでいた。健全な状態ならセカンドオピニオンを貰おうだとか、それでも何かしら改善する方法はあるはずだ、なんて考えていただろうけれど、鬱真っ最中の人間にそれはだいぶハードルが高いらしい。

だから、「鬱は治ります」と断言するこの本を、少し猜疑心を持って読み始めた。(ちなみに双極性障害はおそらく誤診だったと思うし、今はどっちでもいいなと思ってます)


そして読み終えるより前にこの先生のカウンセリングを申し込むことになったのは、私の中で小さなパラダイムシフトが起きたからだ。

鬱の時って心の何処かで、「鬱になる前の自分に戻りたい」と思ってしまうものだと思う。風邪を引いたら、なる前の自分に早く戻ろうと考えるように。熱が下がったらまた美味しいものをいっぱい食べたいなぁとか思う、そんな風に。だけど、この本が伝えていたのは、一見同じように見えて全く違う内容だった。

本の言うところを私なりの言葉で例えるなら、うつ状態とは「本来従うべき心のコンパスがあるのに頭のコンパスに従った結果、間違った航路を進んでしまった結果、激しい海流に邪魔されてそちらへ進めない状況で、そこを無理に押し通ろうとして自分という船体がボロボロになっている状況。けれど心のコンパスが見えておらず、頭のコンパスを心のコンパスだと誤認しているために、この道を前へ進むしか方法がないと思っている状態」だってことだった。


・現状をどれだけ変えても回復しないのなら、「今見えている世界の外に答えがある」


何故この心のコンパスが見えないのか。それには色々原因があると思う。思い込み、培ってきた価値観、認識のずれ。

私自身自分を客観視することに対して自信のある方だったから、カウンセリングは正直馬鹿馬鹿しいと思ってたところがある。ごめんなさい。だから6年間、ほぼ自力で治そうとしてしまったのだし。

でも、人には自分じゃ歪んだ見方になっているもの(死角)があって、それを教えてくれるのがカウンセリングなんだと教えてもらった。


仕事も、恋愛も、周囲の人間関係も、お金も、住んでいる場所や生活スタイルも、私にとってはどれも原因じゃなかった。引っ越しもしたし、海外にも旅にも出たし、恋愛も同性恋愛から複数恋愛までしたし、とにかく考え得る全てを変えた(もちろん鬱を治すために恋愛したわけじゃないよ)。私なりにすごく頑張ったと思う。そして、カウンセリングで、たった一言で一刀両断されたのだ。「その鬱は、親が原因です」



細かい説明は省くけれど、親との問題はケリがつきすぎているくらいケリをつけてきた。家出に始まり、警察沙汰から刃物沙汰からあらゆる経緯を経て、今やほとんど干渉されない程よい距離を置いている。そのために20代前半は奔走してフリーランスで売上を叩き出し、親に突きつけられた誓約書の内容をクリアしてやっと自由を勝ち取った。親との関係においてこれ以上何を変えればいいんだってくらいに向き合った自負がある。


「ちゃんと親を恨み切りなさい、ちゃんと怒りなさい」告げられたそれは、私にとっての死角だったらしい。
 

そんな、今更過去を掘り返して、悲劇のヒロインや可哀想な娘をやったところで何になるんだ。過去のことを今更ほじくり返し毒親だと責めてみたって何も解決しないだろ。正直そう思ったのを覚えている。だからなかなかそれは実行できなかった(出来ないながらに色んな人達の言葉や経験が後押ししてくれた。下の記事もその一つ)。


「今」を変えるのに、過去の傷と向き合うのはナンセンスだと思っていた。でも、その傷をなかったことにしちゃいけない。平気なふりをしちゃいけない。

後からでも「痛かった」とバカみたいに泣き喚くことで、その傷を自分の誇りに変えられることがあるんだと知った。「人のせいにすることは、責任転嫁や思考放棄じゃありません。向き合うこと、知ること、そしてそれ(鬱や自己嫌悪)を取り除くことに必要なことです。決してそんな簡単なことではないんです」その言葉が腑に落ちたのは、そう先生に告げられてから数ヶ月経ってからだった。怒る練習の最中、ずっと忘れていた過去の辛い記憶が再び立ち上がって、私の背を押してくれていた。



・「休む」も大事だけれど、「休むことだけじゃ解決しない」こともある


よく、「うつ病の時は休むことが大事」と言うし、半分以上はその通りだと思う。さっきの例えで言うのなら、進めない海流にぶつかり続けて船体が沈没しちゃいけないからだ。学校に行けない、会社に行けない、と強制ストップがかかるのも頷ける。ただ、休んだから心の方のコンパスが見えるようになるかっていうと、これに関しては個人差があると思う。

私の場合すごく環境に恵まれて、なんだかんだ長い休みを過ごさせて貰えた。クラウドファンディングで友人がお金を集めてくれたり、幼馴染がお金を立て替えてくれたり。

「とにかく休むんだよ」うつ経験者の友人がくれた言葉を守りながら、一方で毎夜焦りで寝れなくてストゼロの空き缶が増えていく日々だった。「今日も何もできなかった」この感覚はうつ病の人には多いと思う。そして私は、この気持ちの解像度を上げながら休まないといけないタイプの人間だった。「何もできなかった」の「何」は、果たして何なのか。


これは、結論から言ってしまえば、「心のコンパスの方へ少しでも進む何か」だ。どれだけ「すべきこと」をしても、あの夜のもがき苦しむ程の焦りは拭えない。単なる誤魔化しにすぎない。少し元気になる度に、何十回何百回と「すべきこと(※したいことだと思い込んでいること)」を試みて、そしてまた私の船は傷を負って沈みかけるを繰り返した。その度に自分に裏切られた気持ちになってやさぐれた。今度こそ元気になったと思ったのに。そんな自分の姿が周囲をも裏切っている気がして、鬱状態は酷くなる一方だった。

そもそも最初に例えた通り、「心のコンパスの方へ進みたくてうつ状態になっている」のなら、生き方をシフトするまで鬱は私の傍に居続ける。根本的な変革を起こさない限りこの状況からは抜けられない。


私にとって必要だったのは、今更必要なわけがないと思っていた、痛くないふりをしてきた過去の自分の傷をちゃんと痛がって、泣いて、ちゃんと親のせいにすることだった。それによって、私の深くまで根を張って当たり前になっていた自己卑下の視点を取り下げて、傷を誉れとして生き直すことだった。具体的には、ちゃんと自分のために怒れる人間になることだった(今だってそれが出来ているとはちっとも言えないから苦しいことはたくさんあるけれど)。

そうして「人生の主観」を取り戻した場所に立って初めて人は夢を描けるんだということを、この一ヶ月で思い知った。HSPの私にはまだハードルが高い部分も多いけれど、初めて希望を垣間見た。その瞬間、傍から鬱がそっと消えて、命を揺り動かすような風が吹き抜けたのを今も覚えている。

「鬱になって良かった」そう人が言う言葉の出所をようやく理解した。(ならずに済むならなりたくないし、あくまで結果論だから無理にそう思わなくていいと思う)

「鬱」の対義語は「夢」なのかもしれない。下を向くか上を向くか。頭のコンパスの先か心のコンパスの先か。どうであるにせよ、人生で初めて「夢を描ける場所」に立ってみて、人生がすごく新鮮さを帯びている。この先私が何を選び何を捨てるのかはわからないし、夢を描ける場所にいるけれど夢を描けないかもしれない、それはどっちだっていい。でも、この6年の苦しみは忘れたくないと思う。私のためにも、そして今ボロボロになっているあなたやあなたの大切な人のためにも。



大丈夫、鬱は治る。正確には、自分の生き方が変わる。変わらざるを得ないんだ、頭で想像もしなかった、心の方の生き方に向かって。


後日もう少し詳細に書いた記事はこちら。

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