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ここが異世界だとしても

あ、駅弁がない。
山形県は新庄駅。また僕はきちんとした夜飯にありつけないのか……


一人旅をしていると飯に困ることがよくある。誰であってもどんな旅であっても旅行先でコンビニ飯は避けたいもので、しかし一人で未成年となると夜に入れるお店は限られてくる。あと勇気もない。

そんな時、買い弁にしても「駅弁」ならばわざわざ店に入らなくてもホテルで食べられるしまさに旅先の食べ物だから最適…なのだが、当然駅弁というのは夜には売り切れてしまう。

僕が酒田駅から陸羽西線のディーゼルカーに揺られて新庄駅に着いたのは18時前、新庄駅の希少な駅弁はもちろん販売を終了していた。

僕は旅の道中、食にそこまで重きを置かないので大ショック…という程でもないのだが、新庄駅の物産館のような売店を見る限り僅かなパンとスナック菓子しかない。これはさすがに悲しい、というかまさか駅前にコンビニがないとは思わなかった。ミニとはいえ新幹線の終点じゃないのか、ここは…

などと言っていても仕方ないのでパンとスナック菓子を買い、駅前で温泉へ向かう村営バスを待った。

今回目指しているのは山形県は肘折温泉。
東北に行きたかった3月頭、SNSで見かけた写真で訪問を決めてからは早かった。これも気になっていた青森県の弘南鉄道に乗るべく弘前まで夜行バスで、それから山形県まで羽越本線で南下する旅程を仕立ててすべての手配を終えたのが出立1週間前。
基本はじっくり旅程を練って1週間以上旅行していたい派なのだが2ヶ月前に10日間も北海道にいたため経済的に厳しかった。しかしゲリラ的な旅もなかなか面白いなと思ったり。

2022年3月7日深夜、春の気配から逃げるように夜行の弘南バスに乗り込んだ。
肘折に着くまでにも2年ぶりの岩木山に感動したり大館のネットカフェの隣の個室でギターの練習をされて寝れなかったり酒田の街をゆっくり歩いたりするなどいろいろあったのだがとりあえず割愛して、肘折温泉は2泊3日の2泊目。前述の通り酒田から陸羽西線で新庄に到り、ここから肘折温泉へは村営バスで1時間。

マイクロバスでやってきた大蔵村営バスは案内放送すらなく、恐らく日常利用で運転手が顔を把握しているのだろう、停留所の名前も言わずに止まっては地元の人々を真っ暗なバス停で下ろしながら進んでいく。後で調べると地方ではそこまで珍しくないスタイルのようだがなんというかカルチャーショックを受ける。

大蔵村の中心部を過ぎると乗客は旅行者風だけになる。いよいよ路肩の白い雪だけが見える山道を左右に振れて時に上り、時に下り、時に急転回しながら進んでいく。
アトラクションじみた乗り心地はけっこう楽しいものだが、たまに電波がなくなる携帯で地図を見ていると本当に着くのか不安になってくる。
やがてバスがもの凄い転回を見せたのでマップを見ると、現在地はまさに「肘折温泉」を差していた。どうやら入り口のループ橋を渡ったようだ。

じきにバスは坂を下りてスピードを下げる。と、不意に真っ暗だった車窓を民家のようなものが過ぎる。

着いたか、と思うと同時にバスはオレンジ色の妖しい照明に照らされた古い民家群を掠める。今まで半分真っ白で半分真っ暗だった車窓は、一気に人の気配のない古びた街並みに変貌した。

その変貌は突然異世界に連れてこられたかのような衝撃で、理解が追いつかないうちにバスは大きく曲がる。やはり車内放送もないまま、すぐにドアが開く。「松井旅館の方、いらっしゃいますか」と女性の声がかかるので見ると宿の女将が迎えに出ていた。
彼女が言う「松井旅館の方」とはまさに僕一人のことだった。バスは肘折温泉の中心部に到着していた。

旅館の真ん前に着いたバスを降り、一瞬辺りを見れば過剰なほどに暖色の照明と、それに照らされる真っ黒に寝静まった背の高い建築物群があった。
息を呑む。細い路地をバスはすぐに行ってしまい、女将の後を歩く。すごいところに来たなぁ……

ロビーに入るとわけがわからないくらい暖かく女将に迎えられる。前の2泊が夜行バスとネットカフェで、そういった環境に慣れていた身としてはこういうところでも旅館っていいなぁと感動していた。

さすがに申し訳ないなと思いつつ、新庄駅で買ったなけなしのパンも温めてもらった。部屋で荷物を整理した僕は意気揚々と真っ暗な温泉街へ繰り出した。

濡れた路面に、いくつもの旅館から洩れ出る光が反射する。
真夜中でも絶えず立ちこめる湯けむりを、シャッタースピードを落として写真に収める。
曲がりくねった道を進むと、絵巻物が広がるように眼前の建物が移り変わる。

スノーブーツでは足音も立たないから、先が見えない路地を静寂に絞め殺されるような気持ちで進んでいく。

明かりはあっても人の気配は当然ない。
本当にこの建物たちに人が泊まっているのか?本当にここはまだ肘折温泉の街路なのか?
あまり進みすぎると、そのままどこかへ連れて行かれてしまいそうだった。

この狭いメインストリートで一番大きな広場、この一帯では朝市も開かれる。
しかし夜の闇はすべてを覆い尽くしてしまう、僕はなにかタイムリミットのようなものを感じて旅館へ逃げ帰った。

写真を整理していると、もう少し歩いていってもよかったのかなと考える。
もしこの路地の先が異世界だとしても、それでいいかもしれない。

肘折の深夜はもう一度あの光景を見てみたいと思わせるような、妖しい魅力を孕んでいた。

部屋に戻り、23時。
正直なところ目的はこの温泉街の窮屈な景観なのだが、さすがに温泉に入らない訳にはいかないので浴場へ向かう。

1階の当然真っ暗なロビーや外から聞こえる機械のような騒音(おそらく除雪車)に怯えまくっていたので、温泉がどうこうというのはあまり覚えていない。部屋に戻ってすぐに寝た。



3月10日、朝8時。

温泉旅館のもうひとつの楽しみといえば、朝ご飯。
たいへん素晴らしい。味覚が幼稚なので山菜は少々不安でとろろも初挑戦だったのだが、すべてが最高だった。米びつも初めて使った。

今日はもう帰るだけ、バスは昼まで来ない。
米櫃の白米を食い尽くし、敷きっぱなしの布団にもう一度横たわる。
あの瞬間は今でも鮮明に思い出せるほど幸福感に包まれていた、始発列車もいいがたまにはこんな余裕があってもいい。

旅館の朝。
心に沁みるもてなしをありがとうございました。

チェックアウトして、バスが来るまで温泉街を散策する。まずは昨夜歩いたメインストリートから。

昼でもかなりの圧迫感を覚える街並みが素晴らしい
昨夜はこの辺りで引き返した
肘折温泉のクイーン、横山仁右衛門商店

夜が明けてもう一度街を見る。昨夜あれほどの時間をかけて山道を走り、辿り着いた山奥にこんなにも雑多な都市的景観があるのはとても奇妙に思える。温泉の力。

かつてはこの狭い路地を大きなバスが走っていたというのだから驚く、今は昨夜のマイクロバスに置き換わっている。
数百メートルで高い建物は無くなり、古い住宅の並びへと収束する。
この通りのひとつ向こうには最上川の支流である銅山川が流れており、その対岸も建物がいくつかある。

昨日の暗闇とは対照的に、昼の陽光に照らされた雪の白があまりにも眩しい。"眩しすぎてさ暗闇のようだ"…

積雪が激しい未舗装の道を歩くのはなかなか危険なので、路地の行き止まりを確かめて広場に戻った。商店で名物パインサイダーを買う。バスの時間だ。

見送りに来てくれた宿の方と話していると細い道をマイクロバスがやってくる。すごい光景。

ありがとう肘折温泉。
温泉にそこまで熱心でなかった僕だが、今回で温泉"街"巡りの可能性に気づくことができた。

バスは巨大なループ橋で山奥の温泉街を離れる。

帰路。上り山形線の車内から夕陽を見る。

今日は3月10日。また寒い季節になったら北の温泉街を訪ねてみようかな、と考える。
普通列車を乗り継いでいくうちにだんだん空気が生暖かくなっていくのが、僕にはとても悲しかった。

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