セシルローズ

その頃の僕は、もうどこに居ても何をしていても真っ暗な思考の渦から抜け出すことができなくなっていた。考えることは渦の音に遮られ、見るものはその暗闇に閉ざされた。僕が毎日最寄り駅から京王線に飛び込むのを思いとどまっていたのは、単に親に先立つのは悪いからという理由だけだった。
読んでいた小説の主人公がイヤホンをしても耳を塞いでも四六時中耳鳴りがして、大音量で音楽を流しながらでないと寝れないという耳の病気に罹った。この大きな渦がそのような耳鳴りであったとしたら僕は彼に深く感情移入でき涙を流したのだろうが、僕の絶望は絶えない耳鳴りの何倍も安く軽く実態が無く、僕は毎日三食を食べ暖かいベッドで眠った。遠くで戦争が起きる。遠くで大地震が起きる。遠くで津波が全てを押し流す。遠くの日常が一瞬にして瓦解する。いくつもの選択の末に存在する別の自分とそれを取り巻く環境が果てしなく潰えていく。僕の渦は晴れなかった。時にそれはいくつもの歯車になって身体を削り取っていく。僕が日常のすべてを悲観していることと、遠くの日常が崩落することに僕は何の関係も見いだせなかった。
僕はいろいろなことを考えた。他人の唾棄すべき空虚な言葉たちが次々と横切った。"旅路"の7曲目を繰り返し聴いた。6分11秒の中で視界のさまざまなシーンを写真のように切り取り、風に季節を覚え、暗闇に抗った。新宿駅のデジタルサイネージに浮かぶカタカナだらけの広告はクトゥルフ神話の神々の名を思い出させた。また戦争が起こった。自分が老いていくことを考えるとそのあまりの醜さに僕は何ひとつ手につかなくなった。ただ恐ろしかった。
あんなに辛かったはずの過去が今となっては輝いて見える。こんなに暗い現状もあとで振り返ると光って見えるなら、すべてが満たされて幸せである時期、それを自覚できる瞬間が自分には一生訪れることがないということを去年僕はようやくにして悟った。だとしたら、それならば。
深まるにつれていたく感傷的に色づいていく木々だけが僕の心を休めた。僕は彼女ともっと話したかったが彼女はそうでもないらしく、逆に僕は彼らとはもう二度と関わり合いになりたくないのだが彼らは僕に干渉してくる。もう少し矢印の方向がうまく噛み合っていれば、僕の苦しみはもっと軽かったのかもしれないというどうにも下らないことを繰り返し考えた。結局僕は「いろいろな矢印がうまくいかなかったので」と書き残して、京王線はやめて南武線に飛び込むことにした。

僕は聴覚を大音量のプレイリストに埋め、あとは重力のような力に全身を預けた。いつものように線路へと誘発される脚にすべてを任せ、僕の身体が6両編成の最前部に触れる時、その黄色・橙・茶色のカラーリングが目に入った。秋の色だと思った。でもこの時間の南武線が駅を通過しないとは随分な見当違いで、結果的にただ僕は横から数トンのボディブローを食らったに過ぎなかった。しかしコンプレックスだった細い左腕は案の定どうにかなってしまって、その場に立っていると視線が痛く思えたので仕方なく上手く動かない足で宛もないまま線路を歩いてみる。南武線が纏う季節の色彩に甚く感動した僕は、ガラスと血塗れの身体でどこかの黄葉を見に行こうと決めた。周囲の人々は僕を凄い目で見たがそれ以上は何もしてこなかった。
立川と国分寺で電車を乗り継いで小平の団地に至った僕は線路と激突してぐちゃぐちゃに壊れたカメラであちこち写真を撮り、往来と山吹色の並木を交互に眺め、長い呼吸をした。プレイロットの汚れた遊具の周囲に銀杏の葉が落ち、青から黒に落ちる周囲と激しく対比する。この国に11月という時季があってよかったと僕は心から思った。日が沈むと西東京は大袈裟に冷え込み、それが住民たちをどこかへ急がせる。イヤホンの電池が切れる。足をうまく動かせないまま最寄り駅に戻ったが、僕はもうこの街には居られないなと思った。南武線の警笛に当てられてもう彼女の顔も思い出せない。そのかわりに自分がずっとこの世を諦めなかったもうひとつの理由を思い出した。

電光掲示板を南武線での人身事故を知らせる赤い文字が流れ、私は眉をひそめる。ヘッドホンを外して駅員がするアナウンスを聞く。南武線が使えないとなると、ここから立川まではそれなりに面倒な乗り換えを挟むことになるのだが。いろいろと思い詰めた結果この世界から消えてしまいたくなるような気持ちには自分もたまになるし理解はできるが、それでもわざわざ南武線なんかでその人生を終えることはないんじゃないかな……店長に遅れることを伝えるとああ君もね、という対応をされる。つまりは私以外にもこれに巻き込まれた人がいるということで、つまりわざわざ急ぐこともない。駅前の適当なカフェに入り窓際の席で時間を潰した。恋人からの連絡を返し、駅前通りの端でささやかに色づく木々を眺める。秋。今朝、来週の気象予報にいよいよ現れた一桁の最低気温。秋氏はだいぶ深まっているのだ。ことこういう時に頼む適当なカフェラテもホットの季節になったなぁと、茶色く分厚い紙コップを撫でながら思う。
混雑も落ち着いたモノレールに乗り換えると、遠くまでよく見える。家を出た時あんなに青く高かった空は翼のような形の雲や夕暮れの微妙な色彩と渦巻き、やがて多摩川その他と色を同じくした。スピードも遅く、大学へ向かう電車の建物だらけの車窓に慣れているとこの景色はどこか感傷的にもなる。暗くなると同時に立川に着き、秋を通り越したような夜風に打たれる。相も変わらず人が多いが、あ、と私は昔のクラスメイトのことを思い出した。南口のペデストリアンデッキでその彼を見つけ、それで彼について少しの記憶が呼ばれたのだった。卒業式ぶりに見る彼は見るからに窶れ、あちこち擦り切れたシャツを着て骨でも折れているかのような歩き方をしている。逡巡。斜めの角度からでもひどい顔をしているのがわかる、友達ならば迷わず声を掛けるところだが。私は当時、彼のことを……彼の友人たちと比べれば……若干気にしていたところがあったがそれは彼の若干の顔のよさからであり、それ以上でもそれ以下でもない。少しは喋る方だったと思うのだが、そもそも高校の冴えない男子たちのことなどわざわざ覚えているわけでもない。ごめん。よって声は掛けず、私は思い出したように足早にバイト先へ向かった。立川にはかなりの頻度で来るけれど彼を見たのは初めてだったし、それ以降一度もすれ違わない。彼もその時、南武線の事故で迂回を強いられたのかもしれなかった。

客死の二文字が浮かぶ。高校生の頃はどこか北欧の田舎町で生涯を終えてみたいと思ったものだが、その後発生する費用が目も眩むほどで断念した記憶がある。そのときから生死に無頓着な面白みのない人間というわけではなく、他人から殺されるのはずっと怖いが自死だけが僕には坂道のように思えて結果として腕や脚をこのようにしてしまう。朝が来たが、家のプリンターはとうとう最後までインクを買ってもらえずオブジェと化してしまった。僕が居なくなったらこのお金は誰が払うんだろう、などと今更考えても無駄だ。羽田空港は歩くととても遠かった。でも現金はないから歩くしかない。歩くしかなかった。空のひとつも目に入らず、足元だけを見てひたすら足を交互に運動させた。臨海部の濡れた空気がぼさぼさの髪を吹き抜け、わざわざセブンイレブンのコピー機で印刷した航空券を湿らせる。飛行機に乗ったらすぐ寝てしまうなあ、と思いながら夜が明けたターミナルビルに僕は崩れるように横たわった。いつか深夜の飛行機でここに帰り着いて、空港のベンチを寝床にしたときを思い出す。

目的地はひとつだった。リスボンにはほぼ丸一日かかって着く。期待通り晴れのようで、僕の漸くの到着をこの街が歓迎しているようだった。もうずっと前に僕の身体はガラス瓶が弾けるように瓦解し、府中やポルトガルに散らばった。それでも自分はここに来たかったんだ、とすべてを許し、心の底から笑顔になれると思った。渦の音はもうしない。耳がまだあってももうしなかったと思える。これなら僕の遺体を回収するのに大層なお金がかかることもなく心配はない!ロカ岬の風は強く、それが僕として残った最後の意識を簡単に吹き飛ばしていく。観光客たちは楽しそうに帽子を押さえ、スカートを靡かせた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?