オーバーダビング進行中

このブログで中の人として初めての記事を書いてから約一ヶ月。
あの記事はツイッターのフォロワーの方に向けたつもりで勢いで書いてしまいましたが、ブログはそれ以外の方にも読まれることがすっかり抜けてました。
あとから読み返して、どれだけ自分について説明不足なのかと…本当にすみませんでした。

正直、映画についてはあれから追加で何かを書く気はなく、観続けて最初の数回は、昔から自分の心の中で描いているフレディも映画の中のフレディも両方が私の中にある状態でした。

ただ、止まらずに何度も映画を観るうちにだんだんと変わり、でもよくわからなくなって書いてるうちにわかるかなと思い…あと誰かに聞いてほしくて(笑)、また記事にしてみました。

「心の中で描く」と文字にすると自分の妄想の具体さがどれだけ気持ち悪いのか気になりますが、この言葉については後で書きます。

今から書くのは、あくまで昔から私の描く「心の中のフレディ」と「映画の中のフレディ」が混ざりあった話になります。
つまり妄想です。長文です。



いきなりですが、濃い妄想話をします。

古参のクイーンファン、特にフレディのファンの方々には分かっていただけるかなと思うのですが、「これ何?」ともし誰かから質問されたら、うっとおしいほど語れるMVがあります。

ドラァグクイーンな衣装やロジャーの参加(ちなみにもう一人はピーター・ストレイカー)も語りどころですが、それ以上に語りたいのは、 "I Want To Break Free" "Radio Ga Ga" "It's a Hard Life" "Bohemian Rhapsody" "Crazy Little Thing Called Love"、ソロでは "I Was Born To Love You" "Made In Heaven" と、それぞれの曲のMVに登場する「フレディ・マーキュリー」のコスプレをフレディ自身がやり倒しているMVです。

そう、僕くらいのペテン師はいないよ
上手くやって自然に見せてるだろう
本心をさらすくらいならバカのふりしてやるよ
孤独だなんて誰にもわからないんだから
大衆の目に映る僕こそが僕なんだ
どれだけ装っても現実はやってくる
隠しきれない僕の心に現実はつきまとう

【The Great Pretender/Freddie Mercury】(大意)


(これは原曲がプラターズ作の、’87年にフレディがカバーとしてソロ曲で発表したものです。フレディのバージョンでは原曲の意味と少し違う解釈をしています)

MVを見ればわかりますが、フレディが『こちらは僕がプロデュースしたフレディ・マーキュリーです』と映像でわざわざ紹介してくれてるかのようです、なにこれ。

(”こいつは馬鹿か?” 英NME誌 '77年6月掲載記事タイトルと写真)


どれだけフレディ自身がフレディという存在を透かして眺めていたのか、散々彼を嘲笑してきたマスコミを超えた位置から「一番僕のことを笑ってるのは僕でした」と。
誰も思いつかない、というよりやろうと思わない演出でさらに笑い飛ばす。

初めて見た時は楽しかったのですが、リピートしてる間にふと冷静に見入ってしまいました。フレディの生身がちらちら見えてるから。

芸術も創造も捨てない、批評家に媚など売らない、大衆の期待を超えるものを求められるままの道化になり与え続けた。
見返りも十分手にしたけど、現実は何も変わらない、孤独はいつも隣りにある。



前置き終わり、映画について。
私の観た映画の中のフレディについての話です。
今の私にはあまり映画を観る習慣が無く、専門的知識や用語など足りない箇所があるかと思いますが、気持ちのままの言葉で書いてみます。



ジョン・リードとの初めての面会、EMIでのレイ・フォスターとの二度のミーティング。バンドにとっての将来を決めるこの大事な場面において、フレディはバンドの姿勢や曲の解説を、演説でもしているかのように語りだします。
どちらの場面でも言葉を選びつつ、少し吃りながら。


おそらくですが、自分の中にあるスイッチを切り替え、舞台の上にいるかのように大袈裟に自分の考えを語ることで相手を納得させようとするフレディを表現するため、ラミ・マレックが考えた細かい演技(もしかしたらラミがロジャーやブライアンから聞いたのか、昔の映像から分析したフレディの癖かも)なのか、この吃り方が映画の中では時々見られます。

フレディの自宅にてソロ契約の話を切り出す場面では、ロジャーから契約金の額を問われた時に少し間が空きます。
この間で良い切り返しを見つけスイッチを切り替えようとしますが、思わず勢いで金額を正直に答えるフレディ。
ロジャーが発した「空港から拾ってやったのに」の言葉が今度はスイッチとなり、「歯医者だ!天文学者だ!……お前には何もない!」と、わざわざ始める必要のない演説でメンバーとの断絶を招きます。

ミュンヘンで久々にメアリーと会った場面。
「一緒にいてほしい」と無茶なことを言い、以前メアリーが彼氏と一緒にライブを観に来た時のように2人を気遣うふりすらできません。
そしてメアリーから妊娠を告げられると、一瞬口角が上がり目元も緩みます。
しかしすぐに表情が元に戻り眉間がぐっと固くなり、そのまま「なんてことだ」と口にしてしまうのです。

このラミの演技はほんとうに素晴らしかったです。
孤立感と重圧で自分の操縦が上手くいかず、膨張し続け破裂しそうなフレディが、今どうするべきかわかっているのに動けずに一番選ばなくて良い言葉を口にしてしまう。

メアリーがフレディに言う「Come home」、英語にあまり詳しくないので辞書の引用になりますが、この言葉には”元に戻る”の意味もあります。
「あなたを愛している家族の元に帰って」の意味にも「自分を取り戻して」の意味にも取れる、とても重要な一言だと思います。

メアリーが去った後、雨の中で映るのはフレディの後ろ姿。
表情はわかりませんが、ここにいるのは雨ざらしの生身のフレディ。
「クズで腐ってて大したものなど残ってない」、それが今の自分だと言います。


あなたを退屈させないためなら
ハイになれる薬の代わりになるし
極上の仕掛けも用意します
この体だって売りますよ
どんなジャンルでもこなすし
日本語でだって歌います!
だから君と共にあるこの時間は
せいぜい楽しんでいってね!

【Let Me Entertain You/Queen】(フレディ作)大意


観客のためなら全身全霊を差し出して楽しませてきた自分から、今はもう、なにも生まれない。
ゼロだ。もう破裂してしまった自分の中には、同じくクズのポールへも、もちろん誰に対しても何もあげるものなど無い、生身の自分しか残っていない。

TVの中では「彼には【ボヘミアン・ラプソディ】を作った頃の情熱はもう残っていない」「彼は大切な友人を無くした」と、ポールが話しています。
これはポールが自分を捨てたフレディへの復讐としてインタビューで過去を暴露している場面なのですが、画面から目をそらさないフレディは、ようやく現在の自分、自分を愛してくれている周囲の人々を裏切り、己の才能すら捨て去りそうになっている自分に気づいたようにも見えます。

自分を取り戻そう、愛のために生きよう、俺ならできる。
だけどもう、残された時間は少ない。

オフィスでメンバーと再会し少しずつ気持ちを伝えるフレディ。
ミュンヘンの雨の中とは違い、フレディの背後には部屋に差し込む光、何か清々しくさえ見えます。
ジムからライブ・エイドの詳細を聞くフレディの表情が明らかに変わります。

「ライブの翌日から死ぬまで俺たちは、出なかったことを一生後悔する」「お願いだ」

ただ、ここには以前のように高らかな演説で皆を納得させるフレディではなく、正直にシンプルな言葉でメンバーに訴える彼がいます。
それはすぐ後のブライアンの少し驚く表情からも、何か違うことがわかります。

メンバーに自分の病を告白する時にも、気高さは消さず、しかし力強い言葉で伝えます。
彼が新しいフレディ・マーキュリーを呼び覚まし、受け入れた瞬間に思えました。
同情や哀れみを向ける時間など無駄だ、観客のためにあるのがフレディ・マーキュリーだと。


みんなには僕という人間やそのイメージを、それぞれの解釈でつくりあげてほしい。


現実は辛い。
そんなことはこれまで苦渋を舐めてきた自分自身が骨身にしみている。
そして、同じ現実を生きている人々が、そこからただ一時でも逃れるために自分たちを観に来ていることも知っている。
自分の作り上げたものがどれだけ虚構であるかもわかっているのは自分だ。
その価値を知っている自分は、人々に消費されるがまま皆の思うままの僕であり続けよう。
今はただ楽しんでほしい。
また明日からは、僕も皆も、現実を生きていかなければいけないのだから。


彼がここは自分の居場所であり、自分が世界一のパフォーマーだとはっきりと自覚できる場所。
人々の望むフレディ・マーキュリーと道化としての自分が合致し同調できる場所。映画ではその象徴として、現実と見間違ってしまう程の再現レベルでライブ・エイドが描かれているように思えます。




映画館に通って何度目かのいつもの再現ライブ・エイドの場面を観ている時にふと、私の中にいるフレディがここにもいたと感じた瞬間がありました。恥ずかしいですがそれが一番泣いた回です。
心の中の彼もどこか変わった気がしました。
おそらく今までも知らないうちに、自分が取り込んできた様々な彼が重なり合って変化してきたんだろうな、と思います。
しかし具体的に何が変わったかここまで書いてもよくわかっていない…


最後に余談な話を。まだ書きます。長いって始めに言いましたよー。

映画を観てクイーンのファンになった方の中には「お前の妄想とはいえ、そこまで大衆の道化になれる人間がいるか」と、この装飾過多な記事の内容に疑問を持つ方もいると思います。
装飾過多はその通りです。
ただ、フレディの道化魂(そんな言葉あるの)は尋常ではない。

このツイート、語彙不足で上手く伝わったかわかりませんが、フレディは「マスコミが注目してるこのタイミングで出さないでどうするんだ?僕が売ってやるから発売しろよ」とブライアンに伝えたのです。
当然この言葉の裏にはブライアンの邪魔をしたくない彼がいますが、この独特の表現に道化魂を感じます。

”I'm Going Slightly Mad” と ”These Are The Days Of Our Lives"のMVで、病状を隠すために厚いメイクをしていたフレディには、立てる間は最期までやり遂げてやるという彼のプライドが見えます。
そしてこれを見て何かを感じずにはいられない人に対し「退屈させないって言っただろう」と微笑む彼もどこかにいるような気がします。私には見えます。


私の中にいる彼は、侵さざるべきものでも神棚に祀られるものでもなく、道化魂を持ち変化していくフレディです。
そしてこの映画は私の中で新しく、ものすごく濃く分厚い地層になり始めました。

彼も自由に描いていいと言ってくれているし、あのレコーディング場面のように、これからも心の中でどんどん彼を重ねてオーバーダビングしていきます。