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「UXの向上と便利さはイコールじゃない」 #今の僕の場合シリーズUX編 6/10

今回はUXの向上と便利の関係について掲載します。

便利になるということがUXの向上とは言い切れない

非常に誤解をしてしまうことなのですが、探しやすくなればUXが向上する、便利になればUXが向上するというわけではありません。何を言っているのか?と思われるかもしれません。
例えば、「何かを調べる」という体験において究極の便利は、「入力したものがパッと素早く出てくる」でしょう。では、無味無臭な画面でそれを実装した場合それはUXの向上と言えるでしょうか?

少し話は横にそれますが、ディズニーランドは入場ゲートがわざと小さく、そして面倒になっていることをご存知でしょうか?「入場する」というシチュエーションだけを考えれば、「入場しやすくする」というのがUXの向上に向けたデザインであると明言できます。ディズニーランドは、あえて「入場しにくくしている」らしいのです。

それはなぜでしょうか。入り口で少し不便な思いをして(焦らして)、ゲートをくぐった後その反動としての体験を使って「別世界」「夢の国」へ誘っているということだそうです。

本当のことかどうかは定かではありませんが、ここでわかることはUXDのフォーカスです。

入場ゲートだけのUXDだとこのような対応にはなりません。しかし、全体のストーリーとしてのUXDとした場合、入場ゲートは「不便である」ことがUXDの要素となっています。商品の販売でいえば、商品のプロモーションだけを見てUXDを行うのか、または商品の使う過程まで含めてUXDを行うのかということになります。

Webサイト周辺で考えた場合、例えば、サイトですべてを解決したほうがUXが高いのか、問い合わせをもらってオペレータとの会話をしたほうがUXとして高いものになるのか、このフォーカスをしっかり議論した上で進めていくことが会話のズレをなくしていくひとつの方法かと思います。特にUXDというものは、人によって考え方や捉え方がまちまちです。でありながら、UXDという言葉(単語)が共有化されてしまい、ある意味一人歩きする傾向にあります。こういった場合、UXDという言葉を使わない方がいいでしょう。(この辺りは、コミュニケーションのマガジンで展開しますね)

もうひとつ他のイメージとしてですが、「情報を探す」というもののUXDを考えてみましょう。仮に「情報を探す」ということだけにこだわってしまうと、究極は「辞書」です。ただ辞書で「イイ感じ」と感じたことは、ほとんどないのではないでしょうか?この情報というものにおけるUXDはインフォメーションアーキテクチャ(略称:IA)の領域になりますが、ユーザーとコンテンツに加えてデザインする際に必要なものがあります。それは「コンテキスト」です。

次回はコンテキストについて僕の思うところをリリースします。

もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!