リア・ディゾン共存
『共存』って最近うるさい。
そのほとんどが『可愛そうな人たちなんで特別視してあげましょう!』ってテイストで言っちゃってて、『共存』言うた尻から『こちらが理解してあげましょう!』感がやかましく出ちゃってる。
ホントはなーんもわかってないけど『なんか良いこと言わなきゃ!』とか『とにかくいいことしなきゃ!』ちう強迫観念にがんじがらめになってはるんかな?
日本の社会に対してはいいこと一つもしないのにな?
『共存』とか『共生』とか、『共に生きて行こう!』ってことやろ?それのどこに『むやみに憐れんであげましょう!』が入ってんの?
正体不明の何かが具のホカホカのおにぎりやん。『なにこれ?』やん。あ、ポリコレか。
例えばUSAのポリコレが大好きな、LGBTQなんつって乱暴に性癖と一括りにされてしまったことで俄然注目を集める『トランスジェンダー』ですが、日本語で言うところの『性同一性障害』でありまして、もう『障害』つっちゃってますからとうに答えは出てて、『障害のある方々も共に生きていく社会づくりをしていこうではありませんか!』ってことでしょ?
『障害者だからやんなくていいよ。ジッとしとけよ。』じゃない、『アナタにはこれが出来るんじゃないか?やってみな。』って社会よ。
何度も言う。『女風呂に入れてやってくれ』とか『女便所使わしたってくれ』ってことじゃない。
『トランスジェンダーです』であっても、女性からしたら『キャーッ!』からの『だっふんだ』の一連の流れしか無いんですからやめた方がいい。
仲間内で家族風呂を借り、多目的トイレを使えばいい。
オリンピックとパラリンピックって分けてあるのは配慮やと思うんですよ、『障害があっても同じようにスポーツで競い合うことが出来る』ちう社会を実践するためのね?
つまり『同じ責任を担い同じ利益を得る。多少は加配をする。』って考えで全員が行動すべきだってことでしょ?
ええかっこ言うて『共存』なんて言うてるけど、『憐れんであげなくてはいけない』が最優先な考え方になっちゃうとそれは間違ってる。そもそも何が得意で何が出来ないのかも知らないクセに障害者であるってだけで下に見るな。
原則『そんなん自由やん』でええ。好きな人も嫌いな人もいていい。押し付けなきゃいい。
『LGBT先進国のアメリカでは』とか、そんなもんはその国その国それぞれでええやろ?なんでUSAだけが正解みたいに言うんや?言語も文化も習慣も国の成り立ちも宗教も構造も何もかんも違うのに。
なんや?負け犬根性か?
『ジャップは黙って言うこと聞いてりゃええんや!』ってことならむしろ戦わなアカンしな?少なくとも『WASPのレイシストは黙っとれ!』言わなアカン。
検討すべき『共存』には、日本に住む『障害者』『高齢者』『子供』しか無いので、幾ら『共存』つっても『犯罪者』とか『外国人』は入っていませんよ。
『外国人』とは『国際交流』ですし、『犯罪者』とは共存できません。
つまり『共存』には、最低限『日本の法律を必ず守る』というルールがあります。『法律わからん人』『法律なんか知らん』って人との共存は不可能です。
もちろん日本人だって知らない法律なんかいっぱいあるし、知らん間に違反してることもあるかも知らんし、でも『それ違反やで』言われたら『あ、すんません』言うて次からせんようにします。
そういう教育受けて来てるから。
なんぼこっちが前のめりになって準備したところで『ワシは外国人やから日本の法律なんか守らへんって!』とか、『なんで働きにきてやってるのにこっちが日本語勉強せなアカンねん!』とか、『母国人いっぱいおるし日本人との共存なんか必要ないわ。』だったらムリやん?
そら強敵過ぎるって。
友達として個人的に『配慮』してあげることはあってええと思いますし、誰に対しても『思いやり』は大事やと思いますけど、日本の社会の中に『別枠』を設定して『特別視』なんかしたらアカン。
だって、『別枠』こさえたらもう『共存』じゃなくなるやん?
ウサギとマングースを家で一緒に飼うのは可能かも知らんけど、ウサギの檻の中にマングース放り込んで『共生や』言うたってそんなもんムリやで。
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