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な?テレビのせいじゃなかったろ?

『レクサス買う金あるなら灰皿買え』

ツイッター史上最も美しいつぶやきです。

たまに遭遇する『走る車からタバコをポイ捨て』するキチ芸ですが、十中八九は家庭教育の至らなさ、つまり親もそうしてきたその生活スタイルのなせる業だと思いますが、こりゃぁ『お行儀』という文字が辞書に載ってないシナ人インバウンドのことを言ってる場合じゃないなと…

観光地や商業施設へ向かう渋滞の窓を開けてわざわざポイと煙草を捨てる親のところに生まれた子供はやがて、観光地や商業施設へ向かう渋滞の窓を開けてわざわざポイと煙草を捨てるでしょう。

そういう背中を見て育ったんですからね?可能性を考えると十分にありうる。

観光地や商業施設へ向かう渋滞の窓を開けてわざわざポイと煙草を捨てる親のその親もきっと観光地や商業施設へ向かう渋滞の窓を開けてわざわざポイと煙草を捨てる親だったと思いますし、そのまた親もずっとそういう親だった可能性は高い。

テレビドラマの影響?ない!ない!そんなものあるワケがない。

考えようによっちゃ、これは持って生まれたある種の『才能』でありまして、つまり『バカはバカの所で育たないとバカになれない』という、途中から自分の意思でバカになろうにも、これはこれでなかなかの努力が必要となるワケです。

躊躇うでしょうからね?葛藤もするでしょうし。普通にね?

今まで茶碗と箸でご飯を食べてたのを宗教的理由で『手で食わないといけない』みたいな、文化的理由でナイフとフォークしか使っちゃいかんといったような、まさにためらいと試練です。

なんでもママが全部やってくれる生活習慣と、それによって生み出されるバカさ。一族丸ごとのまさに『バカの種族』とも言えますね。

『ゴミはゴミ箱へ捨てる』という概念はそれなりにある。ただ、散らかしても後でママが全部きれいに片付けておいてくれる環境。自分でする必要が無いんですから、そらやりませんよ。

やがてその行動を家に限定することなく発揮してしまう。まさに『レクサス買う金あるなら灰皿買え』の完成です。

『どうせ誰かが片付けるやろ。』

もちろん誰かが最終的には片づけます。その自治体の予算によって雇われた誰かが、そこそこの賃金でやります。

『ちゃんと掃除しとるやないか。』

『オマエには雇われてないからな!』ってものの道理がさすがに全くわかってませんし、何より『オマエなんか大して納税してないやんけ!』って話であります。

『税金でやれ』って、人の何倍も納税してるのならいいんですが、大して納税もしていない我々が偉そうに言ってもね?

そうなんです『どうせ誰かが片づけるやろ。』なんて言う権利すらも実は無いんですよ、観光地や商業施設へ向かう渋滞の窓を開けてわざわざポイと煙草を捨てるヤツなんかには。

勘違いというのは実に恥ずかしいもので、遠くから手を振られたから手を振り返したけど、すぐに自分じゃないと気づいたときのあれですが、だいたいの人間には備わっている『羞恥心』がそうさせるからに他なりません。

アダムとエヴァが神様の怒りに触れ、エデンの園を追放されたとき『恥ずかしい』という気持ちが真っ先に現れました。

すぐさま桑の葉で隠したのが『恥部』であります。

人間は根底の大きな部分を『恥ずかしい』という気持ちに占領されています。それでデフォルトです。

第二次性徴を迎える頃には『フリチン』が恥ずかしいものだと認識していきます。

人間は社会で生きていく以上、お釣りの計算が苦手であっても、地図がわからなくても、敬語で喋ったことがなくても、『社会性』とそれに合わせた『コンセンサス』を持つようになります。

つまり、共通認識や道徳が最も尊重されるのが社会であります。

それは聖徳太子が法律の基礎を作るずっと前からも存在し、人間社会を形成している大切なものであり、誰もあがなえない事実であります。

散らかしたままの子供の部屋を片付けながら『この子も大きくなったわねぇ』なん言うてるヒマがあったら手を抜かんとちゃんと教えてやらんと困るのはその大切な子供です。

超一流のバカに育てたいのなら別ですけどね?

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