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【ショートストーリー】42 あの日君の髪がなくなった時、話したことを君は覚えているか

「嘘みたいな本当の話なんだけどね。髪の毛全部無くなっちゃった」

息子に電話でそう言われ、虚を突かれた。

「なんでそうなった?なんの病気だ?病院には行ったのか?」

予想をはるかに違えたその内容に、私は耳と自分の頭を疑った。

「行ったよ」
息子の声は小さく、少し震えているような声だった。

「それで、なんて?」

「原因は、分からないって。ただ、ストレスが関係あるかもしれない、と」

整理ができない中でも、半年前のことが頭をよぎった。彼が採用試験になかなか受からないことを私が何度も叱責したことをだ。

「人と違うこと違っていくことは、しんどかったけど、その原因がもしかしたらって考えて、それはそれはゾッとした」

自分の身に起きた信じがたい変化が、私のせいであると言いたいのがなんとなく分かった。


・・・25年前。

私はある事故がきっかけで片眼を失明し、もう一方の眼も随分見えにくくなってしまった。

ロービジョンっていうのだろうか?息子が1歳になったばかりだった。これから本格的に今まで会社でやっていたことをいかして独立したかったんだが、それは叶わなくなった。

その代わりに、2000万ほどの保険や慰謝料があり、妻と喫茶店など開いて、障害年金暮らしがよいかなんて、笑って言い合ったりもしたが、残念ながら気持ちの整理は追いつかなかった。

大好きな映画、本、山々の景色や鮮やかな自然の姿を網膜に灯すことができにくいことは、私にとって簡単に受け入れられるものじゃなかった。

「障害受容」なんて言葉があるが、そんなものは、一生の大目標かもしれなかったし、受容すべきものと障害や生きにくさを捉えることはそれを持たぬ者の傲慢さだと思った。

少し喋りのうまくなった息子が、無邪気な顔を見せている気がした。その像が歪んでいるのは、眼の病変のせいか、それともただの涙なのかは分からなかった。

所沢の国立リハビリテーションセンターの診察の帰りにはもう一つの病棟へ行った。父親の様子を見に、覚えたばかりの白杖歩行をいかしながら。


電話の先、今度は妙に冷静になると息子はこう続けた。
「今度家に帰るとき、驚かせないようにって。母ちゃんも多分、心配するだろ?」

私は息子が何を期待しているのかわかりかねた。が、一つ昔話をした。

「まだ、電話いいか?」
雨の音や車の通り過ぎる音がかすかに受話器から漏れていた。

「俺がお前と同じ歳の頃、事故で視力を極端に失ったのは知ってるかと思うが、どんな事故だったか、多分、話してなかったな」

私は少し間をおいた。
1歳の時の息子の顔と声がなんとなく思い出され、言葉が詰まったのだった。

「あの日、親父が、つまりお前のじいちゃんは俺と雨のなか、車に乗って子ども服の店に向かってたんだ。ちょうど帰省した日で、お前にファーストシューズを買ってあげたいからとかなんとか。で、じいちゃんはりきっててな。運転も任せたんだ」

「運が悪かったのは国道で対向車がライトつけてなくてな、視界も悪く、避けようとしたんだが、間に合わなくて。じいちゃんは身体を痛めたけれど、2年リハビリしてなんとか回復したんだ。まあ、でもそれ以上に、じいさん自分のせいで俺に障害が残ったって自分を責めてな。結局死ぬまで言ってたよ『すまなかった、すまなかった』ってな」

「だから、もし俺がお前にストレスかけていたなら……本当にすまなかった」

息子は無言だった。


「とにかく一回家に帰ってこい」
私は言った。

「うん」
それで電話は終わった。

それからいくら季節が巡っても息子は帰ってこなかった。ただ、それそのものが良い知らせだと、たまの電話で感じるのだから良いのだろう。

結局、何を事実と見るかで真実は変わっていく。息子の病気は何なのかわからない。ただ、それはどうでもよかった。それは、そう思えるような平穏な日々があったからだろう。

普通と違うことはそれなりにつらいものかもしれないが、まぁ良いだろうと明らめることができれば、どんな生きづらさもこちらの世界に寄ってくることを私は確信めいて知っている。
受容ではない。明むることなんだと。

ほとんど見えなくなった眼が、今日も朝日を感じる。お前もこの光を感じているのかと、呟いてみた。

おしまい

#あの会話をきっかけに

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