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ハラスメントって何だろう?

ハラスメント研修

新入生が入ってきます。
キラキラとした大学生活、自分が学びたいことを勉強するんだと憧れを持って入学する新入生。2年生、3年生も新入生を歓迎・勧誘しようと慌ただしくなる3月、4月。大変ではあるけれど、少人数の狭い大学・学生社会の中に踏み入れる1年生たちへのプレゼントのようなもの。

そんなある日、一通のメール。
「ハラスメント研修」

近年、ハラスメントに対する意識がより一層強くなりました。
セクハラ、パワハラ、モラハラ・・・・・・
これまであったハラスメントは、こういったものではなかったでしょうか?

メールを受け取った時は、ハラスメントについて学ぶことは確かに大事だからと純粋に受け取っていたことに加え、内容も非常にわかりやすく、適切だったこともあり、あまり疑問に感じていませんでしたが、ハラスメントについてたくさんのネット記事をこの5月になって目にするようになり、ふと疑問に思いました。

ん?なんだ、このハラスメント。

ネットにはたくさんの記事が並びます。
もう、私は逐一覚えていられないようなハラスメントばかり。
しかし記事には「Z世代が〜」「Z世代の〜」というふうに記載される。

参考までにネット記事を一つ、持ってきました。

新種ハラスメントではなくて、一括りに言えば
「自分と他人は違うのだから、自分が嫌なことを他人にしないようにしようね」
それだけのことのはずなのです。
相手を一人の人として尊重した上で、コミュニケーションをとっていくことが大切だということだと思います。

ハラスメントは受け手がそう受け取ったら、ハラスメントなのだ。

この定義も、いささか疑問があります。
そんなこと言ったら、
「〇〇という理由で、〇〇だから、こういうふうにしてほしい」
と注意しただけで、退職代行会社からの連絡が来た、という話も耳にするような世の中。

よく上の世代の人たちが口にする、「最近の子達は、打たれ弱い」と言ったニュアンスの言葉。

我々Z世代は、社会に出てまもない未熟さだけではなく、簡単に多様な情報に触れる機会が多く、たくさんの情勢を幼い頃から見て触れることができた世代だからこそ、争いごとをできるだけ避け、自身の価値観を大切にすることを望んでいるかもしれません。だから、少し強く言われた言葉や受け取った言葉がハラスメントになりかねないのかもしれません。

しかし、ハラスメントという言葉に甘えてはいけないのも事実です。
何でもかんでもハラスメントではなく、どうしてそう言われたか、どうして自分自身がその言葉をそういうふうに受け取ったのか。
自己分析・他者分析をする必要はあるでしょう。

単なる注意だったかもしれない。
相手がただ、少し口下手なだけだったかもしれない。
自分の行動が、相手の尊厳を傷つけるものだったかもしれない。
そうやって多様な価値観をただただ享受するのではなく、多角的な視点で物を見て、考える必要があるのではないでしょうか?

確かに、何でもやりすぎるとハラスメントになりかねません。
しかし、あまりにも人に左右されてしまう価値観の中で揺さぶられて、何でもかんでもハラスメントと受け止められるかもしれないと怯えながら生きるよりは、人から情報を受け取り、コミュニケーションをとる中で相手と自分の間にある見えないものに気を配る、受け取り手の教育が必要なのではないでしょうか?

人は間柄の生き物です。
思想家・和辻哲郎さんの言葉。
風潮があれば、その中で自分が生きやすくなるよう、自分のあり方を定められるように生きていくでしょう。
世の中がZ世代が〜とカテゴリー化すれば、そのように見られる風潮が生まれます。ハラスメントが〜と広めれば、守られやすくなる一方、意見や相談すらしづらい世の中になっていきます。

風潮は、作られるものであり、社会的立場の弱い人は波に揺られて流されて、削られていくことも少なくないでしょう。


専門家ではない、たかだか19年の年月を生きてきた学生のひとりごとです。






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