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私のアイドル

ずっと韓国ドラマのこと、アイドルといえば最近はEXOのディオことド・ギョンスにハマりきっている話ばかりしているので、またそれかとなってしまいそうですが今回はちょっと違います。

私の一番初めのアイドル、はあの映画音楽作曲家として王座に君臨し続ける

ジョン・ウィリアムズ大先生でした。

スター・ウォーズ、インディ・ジョーンズ、ジュラシックパーク、ハリーポッターなどのシリーズは全て、他にもあげるとキリがないほどの映画音楽を作っています。

『ジョン・ウィリアムズ ライヴ・イン・ウィーン』ジャケット写真-768x691

なんとなくメドレーで一曲になりそうな上記のシリーズよりかなり前の、
まだそんな感じのしないロング・グッドバイとかも、とても好きです。

子供の頃映画に感動した時、私が何によって自分内再生できたかといえば、きっと音楽だったのだと思います。

もちろん、ストーリーを何度も思い返して続きを考えたり、その際頭の中に映像を流したり、セリフを覚えたり、服やルックスを真似したり、

映画を観終わったあと、どうやって反芻するか、残していくかは人それぞれ色々あるとは思いますが、まだ小学生だった私にとって、いちばん再現率が高かったのが、サントラを歌う、そしてピアノで弾くことだったのです。


絶対音感とは違うのですが、一度聞いたらそれを覚えてドレミ・階名にして歌う、ピアノで弾くことが、小学校低学年の頃からの私の特技でした。

そして、同じマンションに住んでいたピアノを教えてくれていた先生から、

「才能がある。もっとちゃんとした教育を受けさせれば、すごくなるかも」
と言われたのに母が全く本気にせず何もしてくれなかったこと、今でもしつこくはっきり言ってすごく恨みに思っています。

その反面、本当に才能があったなら、そんなことは関係なくきっとどうにかなってるとも思ったりして、やっぱりしょうがなかったのか、とため息をついたり、

とまあそんなこんなで、映画にのめり込んだ私が、サントラの曲を覚え、弾き、譜面が出ているものは買いに行ったりする中で、アイドルがジョン・ウィリアムズ先生になったのもあまり不思議ではないというか、なるべくして、という感じなのでした。

ただまだかなり小さかった頃、そのアイドルがオーケストラを率いて日本で映画音楽のコンサートをやる、という情報を新聞で見つけた私は、その広告記事を握りしめ、連れて行ってくれと必死に懇願したのにも関わらず母に一蹴され、会えないアイドルを思い何日も枕を濡らしました。それもまた恨みに思っているのです。


アイドルとは私にとって遠い存在、思えば思うほど叶わず、辛く寂しくなってしまうような記憶が根本にあるため、いまだにのめり込んで好きになることをどこかで自制しているような気もします。

古くはジョン・ウィリアムス先生、そして最新がド・ギョンスとなんだか不思議なようなしっくりくるような、自分がその間どんなアイドル遍歴を辿ったか思い返してみたくなりました。


とはいえニーノ・ロータ、ミシェル・ルグラン、そして、エンニオ・モリコーネまで亡くなってしまった今、ジョン・ウィリアムス先生にはいつまでも元気でいてほしい。オスカーは獲らなくても、毎年会場に座り続ける姿を見ていたい、という気持ちはあの頃のままなのです。








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