It's a Small World
イッツ・ア・スモールワールド
初めてこの小さな世界を知った時、ああこんな夢みたいな素敵な場所があったんだと子供だった私は思った。
入場までに何時間も待たなくてはいけなくても全く苦ではない。
むしろ待っている間にぐるぐる歩く植木のスペースもすでにその世界の一部にいると思って楽しかったし、いよいよ中に入る時が近づいてくると、ドンドンドンドンとあの曲のベース音がなんとも興奮を刺激する低さで胸に伝わって、
「あ! 音が聞こえてきた!」
と、誰よりも早く気づくのが喜びだった。
小さな世界
は、新しくなったらしい、知らなかったけれど二年ほど前に。
そうかあの、中に入った瞬間、塩素の匂いと一緒に広がるなんとも言えない大きな体育館感、屋内の水のアトラクション用なのだろう、細かく凹凸のある床の素材、元祖間接照明というか独特の明るさのなかの色使い、
あの世界が変わってしまったのかと思うと、もう一度行っておけばよかったと寂しい気もするけれど、きっと新しい世界もそこは変わってないのではと期待している。
パステルカラー、住人たちの顔のデザイン、音楽、その中で流れ続ける歌声の言語の変化、とにかく好きなものが全部詰まったような世界だった。
世界は狭い
確か、いろんな国を通るアトラクションで、日本は最後の方だったと思う。
着物を着た女の子、男の子が出てくると、日本語が聞こえてきて
「世界は狭い、ただ一つ」と歌っていた。
子供の頃、世界はあまりにも広くて無限のように感じているので、ちょっとした違和感があった。
でもそうか、小さくて同じで、全部つながっているのが世界なんだと思うと収まりきらない嬉しさのようなものが溢れてきて、
届かないのも、触れてはいけないのもわかっているけれど
ボートからほんの少し身を出して、触らないギリギリのところまで
世界の境界線に手を伸ばしたりした。
今またいろんな形で世界の狭さ、を感じることが多くなっている。
この感染のスピード、恐怖が世界共通だということ、
閉ざされた限られた空間で生活することにもまた、それを感じる。
時間と同じで、世界、というものもまた実体のない漠然としたものだ。
地球、国、と言えばそれは国土みたいにしっかりと大きさがあるけれど、
世界、というのは感じかた、捉えかた、作りかたで
広くも小さくも、狭くも無限にも、強くも脆くも、なりうるのかもしれない
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