ジェンダーレス社会で生きるのって実際めっちゃムズない?


ジェンダーの壁が薄くなってきているのを感じる。


同性愛、LGBTなどの言葉はもはや常識で、
日々の暮らし方や振る舞いにおいて
社会全体で性別の有無を重視しなくなった。

メディアにも嫌味なく露出するようになり、多様な性が認められている。

(この「嫌味なく」というのは、
いわゆる「誰も傷つかない笑い」のようなニュアンスだ。)


ジェンダーの壁は確実に薄くなっている。
一概に良い悪いで分けれる話題ではない。
センシティブで、軽く昇華できにくい。


私には、男の子になりたかった時期がある。
中学二年生だ。

好きな女の子がいた。
自分の性別に違和感を覚えていた。

男の子の自分をモデルとして夢小説(アニメや漫画のキャラクターと恋をする創作)を作ったりなんかもしていた。

思春期特有の揺らぎだろうと思う。
感情移入しやすい自分だからこそ、自分の意思で無く他人の視線に釣られていたのかも知れない。
(今となってはよく分からない。)


だが「男として生きたい」と心から思った瞬間があるのは事実だ。


今は女として身も心も落としどころを見つけて日々生活している。
女性として、愛し愛されて生きている。

成長するにつれて心のキャパシティの中の「男になりたい」という思いが淘汰されていったのだ。



世間一般の認識として、
どうしても「結婚」して「子を持って」家庭を築く事が安定の形としてある。
寛容になっている認識の変化は確かにあるのだが、社会の仕組み的にどうしても拭いきれない。


変わっていく認識と、
変わらなければならない仕組み。


私が思ったのは
そんな社会の中で女性の立ち振る舞いってめちゃくちゃ難しくない?
という事だ。

古い話になるが、
歴史的に活躍した女性には「女性なのに」とか「男勝り」とか無条件で冠が付いていたわけで。

「男性的である事」の模倣。
基準の良し悪しが明確なだけ、バイタリティのある女性は上を目指しやすいのだ。

だが現代は違う。
性を言い訳にできない。

社会では本質的な魅力であったり技術が求められる一方で、未だ残る性別の溝と付き合っていかねばならない。


だからワーキングマザーとかってホンマすごいと思うわ。
まさに母親という社会の認識に捉われながらも、一個人として業務に携わる。
兼業母親だ。
逆もしかりで男性も「育休とるのが偉い」みたいな風潮あるしな。

偉いわけじゃないねん、
それぞれのパートナーの形がある中で、選んだ選択肢がそれだっただけやねん。
わずかな認識の違いから生まれる溝。


望んで孤独死したい人間なんていない。

ただ本当に1人で楽しんで生きる人もいる。

価値観は人それぞれだとは分かりつつ、

1番捉われてるのは自分なのかもしれない。


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