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アラフィフになって悟った5つのこと④「友だちは大切にする」

私には子どもがいないので幸か不幸か、意識しないと自分がアラフィフになったということを実感できずにいる今日この頃。

そんな私ですが、あるとき気づいたのです。

私でもここまで生きてきた中で、気づいたことがあるなぁと。

地方でひっそりと生きていますが、それなりに自分の性格について悩んだりしてきました。もっと明るい性格になりたかった。こんな自己主張の足りない自分になったのは、親に似たんだと、責任転換したりしてました。

だけどアラフィフ世代に突入したら、それらの悩みに対する解決策が見えてきたので、世の中で同じように悩んでる人がいたら、大丈夫、そういうことは歳を重ねると解決できるよとお伝えしたくて、5回シリーズで発信しております。

これまで3回お伝えしています。

第1回目は、「噂話にはお口チャック」と題して、信用を失わないためにも人の噂話は適当にかわした方が賢明ですよ。ということをお伝えしました。

第2回目では、「一生懸命は報われる」と題し、大人しくて目立たない存在であっても、一生懸命やっている姿を見ていてくれる人はいて、そんな人のことを人は助けたくなるもの。ということをお伝えしました。

第3回目では、「「大人しくても話し下手でもOK」と題し、話し下手で大人しい自分にコンプレックスを抱いている人でも、口数が少ないことがかえってプラスに作用する私の体験談をお伝えしました。

そして第4回目としてお届けする今日は、「友だちは大切にする」というテーマでお伝えしたいと思います。

若いときの友だちの定義

団体行動がニガテで人数が多くなるほど、自己主張ができなくなる私は、学校生活って居心地が悪かったのです。

ホント、若いときから冷静沈着で、1人でいる方が気楽。
だけど、そんな自分を貫けるほど芯が通ってる訳でもない。

だから皆とうまく溶け合うように、私なりに頑張りましたww

とはいえ、部活で一緒に汗を流した仲間とは今でも交流を持ててますが、それ以外のいつも一緒に行動していたクラスメイトとはご無沙汰状態。

そんな学生時代、私の中の友だちの定義とは、「一緒に行動する」仲間といったところでしょうか。

とにかくこの学生時代を難なくやり過ごすために、1人にならないように一緒に行動する仲間。

いま考えると、残念な思考でした^_^;

アラフィフになって思う友だちの定義

ホントは1人がラク。だけどそれを通すほど強くない自分。
ムリして周りに合わせている自分がイヤで仕方ありませんでした。
窮屈だったし・・・。

それが、35歳を過ぎたあたりかな、吹っ切れてきました。

私なりに色々な経験をし、たくさんの本を読んだことで少しずつ自信がついてきたのかも知れません。

明るくて話好きで、存在感の大きい人にもコンプレックスがあるって気づいたのもあったかもしれません。

隣の芝生は青く見えるものですね。

いまでも友だちの数はすごく少ないです。
しょっちゅう会うなんて事もないですし。

だけどふと「元気にしてるかな?」と思うと相手からLINEが来たり、頑張ってるところを見ると私もウカウカしてられないといい影響を受けたり。

なにもしょっちゅう一緒にいるだけが友だちではない。

そういえば高校生の時、人間関係に悩んでいた私に担任の先生が言ってくれた言葉があって。いまでも、何かの拍子に思い出すことがあります。

なんでもかんでも気の合う人なんて滅多にいない。
映画を見るならこの子。買い物に行くならこの子。
といった感じで、そのシーン別に一緒にいる友だちをかえる。
そんな気楽な感じでいれば良いのよ。

この言葉を聞いて、高校生の私はすごく腑に落ちた覚えがあります。

そんな私ですが、アラフィフになって、友達ができました。
それも彼女に会うために諸々あったのかも。と思えるくらい大切な友だちが。

若いときの友だちとは何が違うかというと、つかず離れず、でもお互い困っているときは、全力で助ける。お互いアラフィフなので、これまでの人生経験あっての友だち関係は中身が濃い!

幾つになっても友達ができたって事が凄く嬉しかった。

そんな友達は全力で大切にしたいと心から思います。

歳を重ねてからは、より「友だちを大切に」

最後までお読み下さり、ありがとうございます^_^


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