運河について
私は運河が好きだ。運河をどう定義するかは敢えて曖昧にするが、私の中の運河のイメージは、低い土地を流れる堤防に囲まれた川であり、水の色は黒であり、水量が豊富であるということが大前提にある。
私が釣り好きなのは、過去タイトルより読み取られてしまっているかも知れないが、運河の魅力はやはり魚の存在である。
深くゆったりと流れる黒い水底には、悠々と泳ぐ大魚の群れの気配がなくてはならない。
夜の川縁のオレンジ色の電灯が水面に映る。
ボラの群れであってはならない。ボラは釣れない魚の定番である。単独で飛び跳ねる個体でもいけない。ああやって空気越しにこちらを目視する魚類など、信用してはいけない。
都会の夜を音もなくゆっくりと流れる運河。
もうただそれだけでロマンなのである。
少し生暖かい初夏の夜。マスクをしているからドブ川の匂いなんてもうしない。
魚の群れが近づく匂いか、それとも気配なのかは分からないけれども確実に存在する高揚感がある。
本当は釣り針なんて無くてもいいんだ。
ただ夜の暗闇に紛れて釣りをしているフリをする酔狂な釣り人。
もしかすると釣り人の中に何人かは、そのような仙人のような釣り師が紛れているのかも知れない。
羽田空港のモノレールから見える沿岸の釣り師達。それともこのイメージは少し古い時代の風物詩だったのかもしれない。久しく向かわないモノレール乗り場。浜松町が権兵衛さんの出身に所縁があるとは多くの人は気付くまい。
江戸前と呼ばれる海が現代では運河とは切っても切れない関係にあるのは明白である。
風に漂う海苔と工場の排水の混ざり合ったような匂いは、なぜか郷愁を帯びている。
次の休みの日は自転車で出かけてみようか…
取り止めのない散文。眠る前のルーティーンにしてみようか…
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