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悪魔の木

「対価はたったのそれっぽっちかい?」
私は彼と交渉を行う夢を見ていた。生爪一枚剥落とすという苦痛を、その一言で片付けてしまうつもりなのか。これが神を語る者の言葉なのか。
 夕暮れの境内には、やはり近寄るべき所ではない事は百も承知であるが、夢の始まりがすでにこの場所であった。どう考えても人間にとっては不利な立場に置かれている事は明白。この上ない不安に苛まれることは請け合いである。
 私は何を祈願したのかさえ覚えていない夢である。それより私は、神仏に対して一度たりとも願いをかけたことがあったであろうか。無意識下でも何かを願っているとすればもはやそこはエンパスの世界である。言葉に出さなくも全てがこの存在には伝わってしまうというのであろうか。
 私の願いは強いて言うなればこの世からの悪霊、魑魅魍魎の類の撤退であるが、同時にそれはその者の存在を否定しかねない領域にあるはずであり、この者が協力する理などはないのだ。
 他人を自分の得意なフィールドに引き込み、己の優位性を確保するやり方。邪悪な存在の常套手段であり、その者の素性は火を見るよりも明らかだ。
「それなりの対価というものを教えてやろう。生爪一枚の対価がどのようなものかを深く味わうが良い。」
 そう言ってその者はしばらく夢の中に出る事はなかった。

 生爪一枚で、悪夢の主が去ったのであろうか。それならばなんと間抜けな魔物であろうか。神社に座していたのであるから神なのであったのか。幸いなことに私の爪は10枚共、いまだに健在である。この先どんな形で爪が失われ懇願成就の対価となるのかは不明であるが、あれからその魔物は私の目の前に現れることは無かった。願いは叶えられたはずであった。
 御礼参り…。そんな単語が頭をよぎったその日は、近所の神社の鳥居の前を歩いていた。少し大きめの地震があったのはその瞬間であった。地震の揺れは直ぐに収まった。近くで子供の泣く声が聞こえた。私は慌ててその子に駆け寄った。灯籠でも倒れたのであろうか。大きな石の下敷きになっている幼子を助け出す時に私は指を負傷した。
 幼子は姿を消してそしてこう答えた。
「生爪一枚対価十日。」
 あの夢を見てからちょうど十日目のことであった。十日間のほんの些細な当たり前の日常。その対価が爪一枚。

「察しがいいな。そうだその通りだ。叶わない夢などないのだ。」

「…。」

「察しが悪いなお前のことだよ。叶わない願いはなどないのだ。さあお前の願いは何だ?強く念じて見るが良い…。私が叶えて見せようぞ。」

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