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ドラゴンボールから読み解く死生観

※ネタバレ注意※
ドラゴンボール/集英社、ONE PIECE/集英社、FINAL FANTASY Ⅶ/SQUARE ENIX、魔法少女まどかマギカ/シャフトの若干のネタバレを含みます。ご注意ください。

キャラクターの死は作品においてもとても大きな要素だと思います。

ONE PIECE/集英社でもポートガス・D・エースの死は衝撃でした。FINAL FANTASY Ⅶ/SQUARE ENIXにおけるエアリスの死、魔法少女まどかマギカ/シャフトのマミさんの死など作中でも印象に残るシーンが多いと思います。

人気作品の中でもドラゴンボールの死生観は異質で、ドラゴンボールというアイテムがあってこそなのですが、作中でキャラクターが死んでも頭に天使のわっかがついて界王さまの能力で地球の人と普通に会話したりします。

筆者は他にこのような死生観の作品は思いつきませんでした。

もしあったら教えて下さい。

そもそも死生観というのは、宗教の教えが大きいと思いますが、どう転んでも人間がつくりだしたものです。

誰でも死ぬのは恐いと思いますが、恐さの理由は死後の状態が完全にブラックボックスで体験したことがないからかと思います。

一般的には「無になる」とか「幽霊になる」とか「輪廻転生する」など、ある程度のイメージはあっても、とにかく死ぬのは恐いといった感じでしょうか。

ただし、死生観も人によりけりで中にはマンガの主人公のように「死ぬよりも自分がチャレンジしたいことにチャレンジできずに終わる方が恐い」という人も中にはいるかと思います。

もし、作中の死生観が作者さんの死生観が反映されているものだとしたら、鳥山明先生の死生観は生と死の境界がとても曖昧なものに感じます。

思えば作中では、市長や町を歩いているひとが思い切り獣の外見をしていたり、乗り物やロボットなども生き物かと思うくらいに活き活きとした印象を受けます。

鳥山明先生の感覚では生と死だけではなく、すべてのものの境界が私達よりも曖昧なものにみえているのでしょうか。

死ぬことを恐れて頑張って集団からはぐれないようにしたり、お金を稼いで貯金をつくることはいいことだと思いますが、根本的には恐怖心は無いほうが気持ちよくは生きられると思います。

様々な死生観はすべて人間かつくりだしたもので、生まれてから教育や読書などで学ぶものだとしたら、ドラゴンボールで死生観を学べば必要以上に死を恐がらずに済む気もします。

記事を書いていてふと思ったのですが、筆者は小さいころ「死」という概念に初めて触れた記憶が曖昧です。

祖父母と接する機会が多かったのですが、「おばあちゃんはもう歳だから筆者ちゃんよりも早く死ぬんだよ」「死んだら何も考えられないし何もわからない」と言われた記憶がうっすらとあります。

ダイの大冒険/集英社でポップが小さいころベットで寝るときに死について考えていたら恐くなって母に泣きついたという回想がありますが、筆者も同じことを考えて、母には泣きつきこそしなかったですが、ひとりで泣いてしまったことがあります。

少年マンガは子供が心持ちを学ぶのにいい教材だなと以前から思っていましたが、死生観についてもドラゴンボールで学ぶのはやはり良いかもしれません。

ないし、 ONE PIECEのルフィのように自分の夢を追いかけて死ぬならそれでいいという考え方も前向きで良いなと感じます。

にしても、ドラゴンボールという作品の死生観は特殊です。

さすが鳥山明先生です。

以上です。

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