
死は人生のゴールなのか?
人は亡くなったらどこへ行くの・・・はっ!?どこへも行かないのかな?
この問題は、昔から多くの文化や宗教で考えられてきました。実際、死んでみないと本当のことはわからないことですよね?真実を知っている人はこの世にひとりもいませんが、どの考え方が皆さんにピッタリきますか?
カットアウト
死は完全なゴール!命は全て終わり、死で存在としてのすべてがなくなる。生きている間に感じたこと、考えたこともそこで終わり、何も残らない。現代ではこの考え方の方が多いのかもしれませんね。
別の世界へ移動
生前の行いによって『天国』や『地獄』など霊的な世界へ行く。神道では『黄泉の国』と呼ばれる死者の世界。ジブリ映画『もののけ姫』でも「黄泉の国から戦士たちが帰ってきた!」というセリフがありましたね。
輪廻転生で生き続ける
インドの哲学や宗教では、すべて命あるものは自動的に何度でも生まれ変わそうです。仏教では六道輪廻(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・畜生道)というものもありますね。最近は少なくなりましたが、お葬式の白木祭壇には左右に3つずつまとめられた提灯が飾られていました。これは六灯(ろくちょう)と呼ばれて六道輪廻を表すものです。
この世のどこかに・・・
亡くなってからも何かの形で、たとえば「千の風」になったり、「お星さま」になったり、この世界のどこかに留まり続ける。どこかで見守ってくれたり、時には何かしらのメッセージを送ってくれたりする。そんな感じを受ける方もいらっしゃることでしょう。
それが何を示しているのか?
古今東西、いろいろな考え方がありますが、なぜ私たちは死に道筋をたて、あれやこれやと考えてきたのでしょうか?もしかすると、自分が確かめることのできないこと、私たちが知り得ないものとの向き合い方を探ってきたのかもしれなせん。
自分自身の死を思うとき、また大切な人の死を受け入れるために、先人たちは死について考え、安心や希望を見出したり、心の準備をしてきました。
どのような考え方が、あなたを安心させてくれますか?
グリーフケアの立場からみたお葬式
大切な人を失ったときの心のはたらき
自分にとって関わりの深い誰かを失ったときの心の動きは非常に複雑です。悲しい、寂しい以外にもいろいろな感情が怒涛のように押し寄せてきて、混乱したり、また自分が強く感じている気持ちを気付かずに否定してしまう場合もあります。
そういったときに、いったい何がおこるのでしょうか?普段ならばおこらないであろう、思ってもみなかったトラブルに巻き込まれることがあることを葬儀の仕事を通じて目の当たりにしてきました。
記憶力や判断力が落ちてしまう方もいます。ある住職様(死別の専門家ですよね?)でさえ、肉親の葬儀のことはほとんど覚えていないとのことでした。私自身も、父の葬儀は断片的にしか覚えていません。しかも、気持ちがコントロールできず従兄弟に当たってしまいました・・・(ごめんなさい)
グリーフケアと儀式の関係
お葬式は何のためにするのかな?来てくれる人もいないし葬儀は必要ないのでは?と思ったことはありませんか?
誰かのためにするお葬式ではなく、遺された自分自身や家族のためになるお葬式があると思います。お葬式はいわゆる「儀式」ですが、儀式はグリーフをケアするために、とても重要な役割を果たします。
次にグリーフに対する儀式の機能についてお話しします
複雑な感情を整理する場となる
日常を離れ、特別な時間、特別な空間に身を置くことで、とりとめのない今の自分の気持ちを整理し、また故人に対する様々な気持ちを整理することができます。
自分を再認識する場となる
故人と共に生きてきたこれまでの自分から、故人が消えてしまった世界で生きていく自分に生まれ変わる気付きを得ることができます。
つながりの感覚を取り戻すことができる
思い出を誰かに伝えたり、自分の知らなかったエピソードを聞いたりすることで、故人の新しい一面を共有することができます。つまり、故人との関係を捉えなおし、その絆を継続する社会的な側面があります。
皆さんにとって、心に残るお別れはどんなイメージでしょうか?死についてのどんな考え方が、皆さんのこころや大切な人びとを温かく包み込んでくれるでしょうか?