長ーいプロフィール


こんにちわ、スガワラです、生まれてから、46歳にて整体師認定証を得てその後の今までの人生、葛藤、失敗、挫折等、書かせて頂きましま、良かったらお付き合い下さい。



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初めまして、こんにちわ、スガワラといいます、 現在 昼間 某リラクゼーション施設にてセラピストとして働きながら、夜間格闘技指導員をしている、格闘家系セラピストです。
                                                 


このブログでは私の経験や学んだ事をシェアしていき、共に成長できるよう尽力していきます、
まずは自己紹介にお付き合い下さい。



私は1966年に静岡県静岡市に生まれました、
両親共に普通の(でも転職も多い)夫婦でした、
確かに特徴的だと言えば生まれた時から普通よりは身体が大きく、体力があったという事でした。
(20歳当時 177センチ83キロ)


ですが、勉強は少し苦手でビリから数えたほうが早い位でした。


なので、身体の割に気が弱く、時としていじめられたりして、
劣等感を持ってたり、自分自身を好きになれない子供でありました。



しかし、中学生に上がると同時に徐々に大きな変化が、まず学業としては家庭教師が着いたのですが、数学ではなく小学四年生の算数からやり直しました、迷ったら基本に戻れの典型です。




そして最も私に自信をもたらしてくれたのは柔道でした、一年の二学期から(つまり3年生が引退してから)レギュラー入り 団体戦市大会や中部大会で3位のチームの唯一の下級生となり、とりあえず水を得た魚の用に生き生きとやっていったのを覚えています。



調子に乗ってました、このままの調子で右肩上がりに人生が良くなると有頂天な自分自身がいました。



しかしそれも高校では補欠にも入らない位落ちぶれたりの急降下で今まで良い時と悪い時の落差は半端ないです。


中学と高校ではレベルが違うといえばそれまでですが、とにかく打って変わって、何度も畳に叩きつけられ、抑え込まれ、屈辱感と何くそ!!という感情が入り混じった高校生活でした。




「お前も落ちたもんだな、」と同学年の部員に言われたのが当時結構刺さりました、何故か気力も落ちて、卒業までとうとう持ち直す事が出来ず、柔道に終止符を打ちました。(最終的に二段位)





大学生の時やっと落ち着いて当時憧れだった極真空手をやりそこでとりあえずリーダー的なポジションまでいきました。




かと思えば社会人となった後は職を転々とする有様で。(当時私が20代前半まではバブルが残ってたとはいえ、いや崩れ初めですが、)

思い出すだけでも

スーパーの店員

新車販売の営業

タイル職人

飲食店

佐川急便 荷物仕分け

土木作業員


やり通したのは格闘技位。(大道塾、空道という空手+柔道といった感じの総合武道)
40歳で初段獲得(因みに現在三段) 


しかしプロでもないし、道場経営だけで生活できるわけではないので、昼職を確立する為、転職を繰り返す、途中まではどうしようもない奴でしたので、なかなか自分に自信が持てなかったです。



しかし、何というか、プロ、アマ問わず、格闘技経験者の引退後の進路は割と、柔道整復師とか整体師も多いので、心の隅では気になってましたが。




ある日、家族から勧められて、割合、低価格な整体スクールがあり、意を決して、学び始めました。



資格をとったのが(整体師認定証)2011年なんと46歳 流石に今のここまでやり通しましたが。



リラクゼーション施設で働く前は折り畳みの施術ベッドを買い(今でも現役です。) 家族や親戚に自宅でやったり、ベッドを持ち込んで出張したりしました。



2011年の年末某温泉施設の一角の施設にて仕事する事になりました。



今思い出せば、力押しで疲れるし、たまに痛いというクレームっぽいものもあり、尚且つ時折親指の付け根が痛くなり、心が病みそうでした、、、。




初期の頃はとにかく、今日より明日が良くなるように手技や解剖学を勉強しました、ある療法のセミナー(主に矯正系、座学と手技を1日約10時間)も受け、多分沢山勉強した自己満足という勘違いもあったかもしれません。



ある療法もそれはそれで素晴らしい技術でしたが、リラクゼーションでは使いにくい部分もあり、適材適所で今も使っています。



最初の施設では親指の変形した20年のベテランがいまして、
(正直今思えばキャリアの割に
  突出して上手な人ではなく)



「この指は俺の勲章みたいなもんだ」と誇らしげに言っていまして、 当時はある程度苦痛に耐えた上で指が強くなり上手くなると思ってた部分もありました。 



しかし3年目別の施設に移った時一月に3度クレームを受け
「痛いだけで、気持ち良くない」
という内容でした、流石に落ち込みましたが、再教育を受けたりと挫折でした。



それでも5年位経つと、10本位は指名がつくようになり、もうベテランのつもりで、一人前のつもりで10年が過ぎるわけです。




その10年目にKEN指圧スクールに出会う事になり、様々指導受けて、沢山指摘も受けまして、10年目として受けて正解でした、でなければ本物になれなかった気がします。



実は10年前位から、YouTubeにて動画は発見して、見てました、無料動画で覚え、参考にしようと甘い考えで時が過ぎました。



しかし、いざ習ってみると親指の角度、肘の角度、という基本的な技術の部分、 接客(声かけ、その他所作) 根底から仕切り直しました、一応整体師の資格持ってながら、恥ずかしながら、基本に戻ってやり直しました。




ここまできてとにかくスキルを身につけるとか体力をつけるとかやるべき事は様々ありますが、自分的には1番大事なのは諦めない
心ですね、



私自信も心がぽっきり折れそうな時もあったので下手すれば辞めてた可能性も否定できず、まあ歳も歳なので転職が難しいって理由も確かにありはしましたが、私なりに芯を持ってなんとか続けました。



実際、働いてる施設でも様々な理由で辞めていく方達もいて、その時私が今のスキルがあったら支えになれたかも?しれません。




その経験から、何が劣っても頭が悪くても諦めずぶれず続ける力が明日に繋がる今まで生きてこれが1番の実感でした。



その上で正しい努力をする事を教えてもらう、それが一番。



私も職の方は転々としてしまったので、遠回りしてしまいましたが、50を過ぎてやっと本物になれて、逆に出会わなかったら、、クズセラピストで終わってた気がしてゾッとします。



現在は更なる技術の向上と、講師を目指して奮闘中です。



今度は私が救われたように、皆さんの成長のお役に立てるよう活動していき、発信していきますので今後ともよろしくお願いします。
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性別
男性
職業 整体師、リラクゼーションセラピスト。

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