漫画原作者が語る元ネタ集①(ヤングキング連載中「瀬尾と北中」)
こんにちは。
ザ・シーツの瀬尾です。
吉本興業でザ・シーツというコンビを組んで普段は渋谷や新宿や神保町などの劇場でライブをメインに活動しています。
一つ前の記事でも書いたのですが、芸人とは別に僕は漫画原作者として連載を一つ抱えています。正確には原作、と呼べるほどの仕事はしてはいないのですが、クレジット表記でも原作と記されいているので便宜上原作者、という言葉を使わせていただきます。
僕は、僕たちザ・シーツは現在ヤングキング(少年画報社)にて「瀬尾と北中」という漫画原作の連載を抱えています。
「瀬尾と北中」というタイトルからも分かるように、この漫画のキャラクターは僕たちがモデルです。物語の都合上年齢設定等々は実際とは異なるのですが、実は細かいところで僕たちのエピソードがふんだんに盛り込まれているのです。
さて、今回の記事からはそのエピソード、すなわち元ネタを解説していきたいと思います。
紙面を見ながら本記事と照らし合わせてくだされば幸いです。
この試みを思いついたのが最近なので今回は4号前の第3話(ヤングキング10号)の解説となります。
妙に遅いですね、すみません。
すぐに原作に追いつくように記事を挙げていきたいと思います。
①駄菓子屋
駄菓子屋です。
見紛うことなく駄菓子屋です。皆さんの町にも皆さんの記憶の中にもどこにでもありふれた駄菓子屋。ここ最近では見かけることもないのかな、と思っていたら最近引っ越した家の徒歩3分圏内にありました。
さて、僕にとっての駄菓子屋は「ひなくら」という駄菓子屋です。
広島県の、鉄鋼業が盛んな街の、そのまた小さな町の一角にあったひなくら。
近くの公園で野球をする前に三ツ矢サイダーや粉ジュースを買って、野球終わりにはガリガリ君を買って火照った体に清涼感をもたらしてくれたひなくら。
地元の中学校が近くにあり店頭にはジャニーズのアイドルやモーニング娘の非公式の生写真が展示販売されていたひなくら。
僕は駄菓子屋という言葉を覚える前にひなくらに通っていた。
だから僕にとっての駄菓子屋とは、「ひなくら」なのです。
②駄菓子
僕はわさびのりを好んで食べていました。
パリッとした食感にピリッとくる辛味。お菓子というよりもはやおかずなのではないか、と思ったことさえあります。
一度白米にとともに食してみたことがあるのですが、合うわけでも合わないわけでもなく、別々に食べた方が絶対に良いという結論に至りました。
③500円玉
500円玉。
平成十八年の硬貨ですね。
瀬尾と北中の僕たちは高校三年生。
僕が高校三年生だったのも平成十八年。
恐らく合わせるように作画してくださったのだと思います。
ちなみに僕が一番好きな硬貨も500円玉です。
言いようのない高級感と信頼感がありますよね。
④学習塾
塾です。
僕は小学校の頃から塾に通っていました。
ここは漫画とは異なる部分ですね。
僕の地元で塾に通っていた人たちは、大体歐州塾か若竹塾か能開センターかに通っていました。
僕はずっと歐州塾に通っていましたが、他の塾の個性的な先生の様子を友達が話しているのを聞くと妙に羨ましく思うこともありました。
友達が自分の知らないコミュニティの話をしていると、好奇心やら嫉妬心やらでどうしても気になってしまうものなのだな、と今になって思います。
⑤牛丼屋
牛丼屋。
中3の頃ですかね、僕はよく牛丼屋、とりわけ吉野家にしばしば通っていました。
一人で通っていたわけではなく、友人のけんじと一緒によく通っていました。
中3の秋頃だったでしょうか、部活も辞め中高一貫校なので受験もない、やることもやりたいこともないモラトリアム中のモラトリアムの時。
ヤマダ電機でゲームの体験版でずっと遊び続けて、腹が減れば近くの吉野家で牛丼をかきこむ。当時は一種の牛丼ブームのようなものが世間でも起こっていたように思います。
何をするわけでもない何も起こらない毎日でしたが、一度あの頃に戻ってまた何もない日々を過ごしてみるのも悪くはないのかな、と思います。
いかがでしたでしょうか。
このように瀬尾と北中には、僕らしか知り得ないような元ネタが散りばめられているのです。実際に僕らが経験したものが使われているからこそ、作品に奥行きが表れているように感じます。
漫画やアニメのキャラクターを見ていて「実際にこいついるんじゃないか?」と思うことはよくあることだとは思うんですが、この作品に関しては本当に存在しています。現在進行形で。
このように瀬尾と北中の元ネタや裏話をまたこちらのnoteにて記していきたいと思います。
ではまた。
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