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ほどける時間を、一緒にわかちあえる優しい社会をつくりたい

こんにちは!銭湯ぐらしPRチームです。リレー記事、今回はイベント担当のちょっころです。


はじめまして!銭湯ぐらしの冨永優莉です。愛称はちょっころです。
ちょっころ、というあだ名は、同じく銭湯ぐらしのあんちゃんに「ちょっころって顔してるよね」と、突然命名されたことが由来です。動きがちょこちょこしていること、顔は雪見大福みたい、と言われるので、しっくり来て気に入っています。ぜひ気軽に呼んでもらえたら嬉しいです。

大学時に見つけたキーワード=“場づくり”と“コミュニティ”

私のお母さんは家でピアノの先生をしています。そのため、家はセミパブリックな状態で、家に帰ると、知らないこどもとお母さんがいることが日常でした。愛犬の散歩に出かけると、「ピアノの先生の娘さん!」と声をかけられる日々は、不思議な安心感と、しゃきっとする気持ちがあったことを、今でも覚えています。

大学のはじめは、小さなインタビュー冊子をつくりました。名前は『人つむぎ人つなぎ』。

キャンパス内に180個ある研究会のことを、いきいきとした人の言葉で知りたい、という思いからはじまったこの取り組みは、同じ大学の学生を対象に①研究会で何を学んでいるのか、②あなたはどんな人になりたいのか、をインタビューしたものです。

「インターネットの言葉ではなくその人が語る情報にこそ、誰かを動かす力がある」と考えて、自分がまずほしくて取り組んだものの、途中であることに気がつきます。
「1人で聞いてまとめると、とてつもない時間がかかる。でも、私のやりたいことはインタビューに出てくる人と、読み手が、出会うことなのだ」と。

だとしたら、それは冊子でなくてもよい。出会う「状況」がつくりたいんだ!という気づきを経て、ここから、ぐーっと「場づくり」「コミュニティ」というテーマに引き寄せられていきます。

「場づくり」に奔走した大学時代

卒業論文のタイトルは、「小さな空間における振る舞いからみる地域参画の設計」。
鎌倉で出会った7席しかないカウンターの餃子屋さんで出会った、こんな光景からスタートしました。友人と二人でたまたま入った時、店主に話かけてもらったことをきっかけに大学生ってどんなこと考えているの?と聞かれ、気づけば自分のことをたくさん話していました。
話が盛り上がった最後には、「今日はありがとう。友達になろうよ」と連絡先を教えてもらったんです。この時、ものすごくあたたかい気持ちになりました。

この気持ちに魅了され、小さなカウンターの端っこに座り、餃子を頬張りながら観察することを週4日ペースで続けていると、こんな光景に出会いました。

デザイナーが本職のおじさんは、知り合いに頼まれて商店街フラックをデザインしていたり。みんなでまちの花火大会に出資して見に行く日を決めていたり。
新しくできたお店のこと、最近顔みない常連さんのことを話していたり。
ある日、突然おばちゃまが手料理をお店に持ち込んで、振る舞いはじめたり。
素直に、おもしろかったし、私にとって気持ちがよい空間でした。

若者からおじちゃんおばちゃんまで、まちのことを前向きに話している場所であること。
店主が肩肘を張らず、「個人」としてお客さんとおしゃべりをしていること。
偶然居合わせた人とも、思わず話してしまう柔らかい距離感があること。
お店がその人の毎日の暮らしの一部になっていて、「居間」のようにくつろげること。

こんな場所をつくりたい。その思いで観察を続け、最終的な卒業制作では同じ寸法での可動式カウンター群をつくり、いろんなところにPOPUPで出現させました。

なにもない場所では人と話すきっかけは生まれないけれど、カウンターに自分が立っただけで、立ち止まり、会話が生まれるきっかけができる。卒制を通じて、自分でもそんな空間をつくれるかもしれない、そう思えました。

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一方で、カウンターのような目に見えるかたちを設計するのではなく、世の中の見えない「仕組み」や「状況」を作り出す人になりたい、と思うようになったのも卒業制作を終えた頃でした。

ではそれってどんな仕事なんだろう・・・?と、期待よりずっと大きな不安を抱えながら、社会人生活に突入します。

ちょっとだけ余談ですが、大学で「人生で一番頑張った」と思えるのは、アカペラサークルでのコンサートづくりでした。自分ひとりでなく、メンバーそれぞれが唯一持つ「声」を楽器にする。お互いに求めあって、一生に一回しかつくれない場をつくっていく。
振り返れば、苦しいこともたくさんあったけれど、アカペラと向き合うことは自分と、共に歌う仲間と真剣に向き合うことでもありました。

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何者かになりたくて、つぶれて、必死にもがく毎日

社会人のスタートは、広告代理店。広告という手段で社会に対して何かを投げかけられる環境からはじまりました。毎日やることが変わり、チームとして期日の中でゼロから制作していく。これまでとの生活や価値観との違いに驚き、必死に走っている日々は楽しくもありました。しかし、次第にもやもやとした気持ちが生まれます。

それは、「何者かになりたい自分」の呪縛と「大きなシステムの中で生きる自分」の周囲のスピードに、押しつぶされてしまいそうな感覚でした。

ひとりではなくチームで取り組むこと、大きな企業として発信できる仕事だからこそ、自分ひとりでは想像もできなかったものが、たくさんの人に届く、影響力のある仕事です。

そのことを感じながらも、大学時代、山本餃子のような空間にあった、
肌で感じられる距離で、相手を思いやれる手触りのある範囲が、
自分にとって、大事なものだったことに徐々に気がついていきます。

何かやりたい!と言わなくても、右から左から仕事が振ってくる毎日。
このままでは、自分の中にある灯火が消えてなくなってしまうかもしれない。
いやだ、なくなりたくない。
何者になりたいのかを、言葉にしたい、形にしたい。
そんな時、共通する志を持って社会で実践する人との出会いがきっかけで転職という大きな決断をします。それが、シブヤ大学の代表でした。

シブヤ大学とは、生涯学習の場を提供する特定非営利活動法人です。
渋谷のまちを舞台に、誰もが無料で受けられる授業をつくる。
授業以外にも、渋谷区の地域コミュニティづくりの施策を渋谷区と協働したり、まちの人でつくるまちの文化祭の企画運営を1年かけて行います。

シブヤ大学に転職し、渋谷を自分にとっての地域として活動する毎日は、なくなりそうだったものを取り戻していく楽しさがありました。大学の卒業制作で取り組んでいた感覚も生かして、目の前の人と向き合い、「出会う」「つながる」「踏み出す」場を作り続けていく日々は素直にとっても息がしやすかったんです。

転職をしてやりたい「フィールド」は見つかったものの、私の「仕事」は何者なのか、専門性はあるのか、という呪いは持ち続けていました。

デスクで作業するよりも、現場に足を運び続ける仕事。
ひとりのためでもあり、まち全体がよい方向になることを目指して、一歩先を照らし続けることを求められる仕事。
今思えば、素直に自分に自信がなかったんです。
頭では気にしないと思っていても、日々自分が接する誰かを傷つけてないか・・・そんな不安に思い悩み、行き詰まったとき、友人がfacebookでシェアしていたあるページに心が奪われます。

銭湯ぐらし、そして高円寺「小杉湯」との出会い

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名前は、「銭湯ぐらし」、場所は高円寺・「小杉湯」でした。

それぞれが自分を「何者」かを名乗り、異なるスキルを持つメンバーが一緒に生活圏をともにしながら、集まっている。ものすごく、惹きつけられました。「私もいつか、こんなチームをつくりたい。こんな生態系で生きていきたい」と直感的に思いました。

ある時、シブヤ大学のつながりで韓国の若者起業家が来日する際の視察ツアーをコーディネートすることになり、念願だった「小杉湯」を訪問先にいれて、実際に話を聞きにいくことになりました。

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小杉湯の三代目、平松佑介さんのプレゼンを聞いて、銭湯という場にとってもわくわくした私は、こんな質問をしました。

「銭湯は地域に開けた場所で、世代もこどもから高齢の方までさまざま。常に人が変わり続ける中で、誰のことを思って新しい取り組みができているんでしょう?」

いい質問ですね、と言った佑介さん。
その場でも、「ターゲットを決めてやるのではなく、常に開き続けることを大切にしている」と教えてくれました。私が感動したのは、ここからなんです。
後日、私がfacebookに小杉湯で書いてもらったレポートをシェアしたときのこと。
祐介さんからメッセージをもらいました。

「あの質問をもらってから、ずっと考えていました。思っていることは、平松家の家訓である“徹底的に綺麗に”ということです。そうしたら常連の人も、こどもも大人も、気持ちよく小杉湯で時間を過ごすことができる。改めて、そう気づかせてもらいました。ありがとう!」

このメッセージをもらって、とても感動しました。私の生活に小杉湯という場がほしい、小杉湯に通う中できっともやもやも晴れるかもしれない、この2つの思いから高円寺への引っ越しを決め、訪問から2ヶ月後には銭湯のあるくらし、が始まりました。

お風呂、という場所で見つけた“お互いを思いやる優しさ”

高円寺に越してから、仕事が終わって帰宅する途中に小杉湯がある生活がはじまりました。週に3回は小杉湯に入り、番台のスタッフや、居合わせた顔見知りの人と時々おしゃべりをして「おやすみなさい〜」と言って、家に帰る。はじめは緊張気味に、おそるおそる風呂に浸かっていましたが、徐々に慣れてきたときいくつかのことに気づきます。

それは、肩書きも立場もほどけた、裸という状態であるとき、まったくの赤の他人なのに、お互いを思いやる優しさがある、ということです。ミルク風呂でも、水風呂でも、みんなが気持ちのよいお風呂を共有できるように、少し思いやることができる。

同じ他人同士が乗り合っている電車内の緊張感や威圧感とは全く別であることが、大きな価値だと思いました。
この優しい空間に触れたことで、「私も誰かと、社会とつながっているんだ」と肯定された気持ちになり、私自身が救われました。

そんな銭湯の魅力を実感し、小杉湯が自分にとってのお風呂で、待合室は居間になりました。この生活の中で、銭湯ぐらしのメンバーに出会い、自然な流れでチームに加わることになったのです。

私の担当である「イベント」は、小杉湯を舞台にしたさまざまな「出来事」づくりです。

自分は何か特別な力を持っていなきゃいけない!呪いのようになっていたその思い込みを手放して、銭湯ぐらしの一員としてありたいかたちをイベントにして発信していく。その過程はとてもシンプルで、自分の思いからスタートして、目の前の人と一緒になって、楽しんでいくこと、それだけでした。

ある時は、アカペラの仲間を連れて、コンサート&アカペラ体験ワークショップをやったり、やったことがない手芸をやってみよう!と待合室が「はじめての手芸教室」になったり、ハロウィーンを祝うランタンづくりをしたり、地域の常連さんと一緒にはじめてお餅つきをやってみたり。

「銭湯ぐらしのちょっころ、頼んだよ!」という仲間からの言葉と、
「イベント、とっても楽しかったです。また来ます!」というお客さんの言葉によって、自分自身の抱えていたもやもやを乗り越える、大きな自信をもらえたんです。

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個人的にも、年末年始の番台、番頭、深夜清掃体験は、大切な場所の裏方仕事を知ることができる恒例行事として、年間カレンダーに入るようになってきました。

小杉湯の裏方仕事に関わるきっかけは、銭湯ぐらしのメンバーになったこと。私にとっては、銭湯という「場」で起きていること、どう運営されているか、は自分の興味範囲なんです。だからこそ、自主的に「やりたいです!」と言ったら、喜んでやらせてもらいました。

スタッフをやりながら気がついたのは、「ありがとう」「おやすみなさい〜」「いいお湯だったよ」と、小杉湯では優しい言葉をたくさんかけあっていること。
仕事で疲れ切ってお風呂に入っても、思いやりがみえる行動や言葉に触れるだけで救われる。自分も誰かにそうしたくなる。小杉湯は、そんな優しくなれる場所です。

ほどける時間を、一緒にわかちあえる優しい社会をつくりたい

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私にとって、それぞれ特技を持ち寄る銭湯ぐらしのメンバーは大切な存在です。一緒に悩み、励まし合いながら、お風呂にもチームにもどっぷり浸かってきました。会う頻度は家族よりも多いけれど家族ではない。友達だけれど、友達以上の関係性。

ひとことで言うならば、小杉湯という場所を大切に想う仲間です。
お互いの違いを認めた上で高め合おうとする仲間がそばにいるから、小杉湯に出会う前の自分よりも、ずいぶんとほぐれた自分でいられるようになりました。


そんな銭湯ぐらしのメンバーと作っていく「となり」では、それぞれの暮らしを拡張させられる場所にしたいと思っています。銭湯は自分の家にもある「お風呂」を外に拡張させると考え、お風呂という自分の暮らし一部を共有する場所のとなりに、私たちがほしい機能をつけていく。そんなイメージです。お風呂に入ってぐーっとほどけた時間に、皆さんはどんなことがしたいですか?

例えば、お風呂あがりに一杯飲めたり、体がほっとするごはんが食べられたり。ある時は、体をほぐすマッサージができたり、ある時は、知らない何かを学ぶ光景だっていい。お風呂にいるように誰かを優しく思いながら、時間を共有できる場所をつくります。

あともうひとつ。ひとりではできないけれど、みんなでならできることもやっていきたい。お味噌や醤油をつくる、植物を育てる、お餅つきやお花見のような季節行事を、みんなで味わう。日常の延長戦にある「小さなハレ」を作っていきます。

誰かの思いが種になって、100年後も続く居場所を目指して

小杉湯は今年で創業86年。わたしは、2020年にはじまる「小杉湯となり」が100年後も続く場所になってほしいと思っています。そのためには、「小杉湯となり」を使う人自身が自分の思いを持ち寄って、顔を合わせて、小さなアクションを楽しみながら積み重ねていくことが大切だと考えています。「小杉湯となり」は誰か特定の人の場所ではありません。お風呂や湯上りの空間を共有しながら、一緒に過ごしていけたら、つくっていけたらとっても嬉しいです。これを読んでぴんと来た方、メンバー一同、心からお待ちしています!

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プロフィール
冨永優莉(愛称ちょっころ)
「小杉湯となり」を取り巻くイベント企画・運営を担当。神奈川県横浜市出身。広告会社の営業から特定非営利活動法人シブヤ大学の職員を経て、現在は個人で住むまちを中心に活動中。趣味はアカペラで、旅する先々で歌う日々を送る。

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