【定期記事】初の中篇小説『惜敗と夏』を振り返る-「カードゲーム」への「熱量」の問題-
今年のゴールデンウィークの最終日に、『惜敗と夏』というタイトルの同人誌を入稿しました。イラストレーターの姉と受験生の弟の一夏の交流を描いた中篇小説です。姉と弟が(架空の)カードゲームで対戦するシーンが見所のひとつとなっています。
しかし、いま読み返してみると、対戦シーンから臨場感が伝わってきませんし、カードゲームに関する知識も生半可な気がします。その原因は分かっています。とっくの昔にカードゲームを「引退」している分、心細い記憶を頼りに書いてしまっているからです。
カードゲームでの「対戦」は、どのような「感じ」だったのか。曖昧な記憶をもとにしている分、「対戦シーン」がふわふわとした雰囲気になってしまっているのです。
そんな失敗がありながらも、『惜敗と夏』以降に書いた小説でも、おりにふれてカードゲームについて言及しています。カードゲーマーの登場人物も描いています。
なぜそこまで「執拗に」カードゲーム(カードゲーマー)にこだわっているのかというと、小学校入学に合わせて引っ越しをしたわたしに、友達ができるきかっけになったのが『デュエルマスターズ』だったからです。
わたしが通っていた小学校では、『デュエルマスターズ』が大流行していました。第2弾が発売されたころだったと思います。それから、どんどんカードの種類は増えていき、デッキにも個性が表れてきて、わたしたちはときに喧嘩になりながらも、放課後は「デュエル」をしていました。
カードゲームは、わたしに友達を作ってくれただけでなく、友達との交流の場も作ってくれるものでした。それは、主人公が様々な出会いを通して成長していく――という小説の筋書きに、どこか親和性があるように思うのです。
しかし、カードゲームを「引退」したことで、カードゲームに対する解像度は薄れてしまい、交流の場として――人と人を繋げるものとして描写できなくなっていたのです。『惜敗と夏』は、カードゲームを介した会話劇にも難を抱えていたと思います。
そこで、カードショップに行ってみることにしたのです。
久しぶりに足を踏み入れたカードショップ。ショーケースに並ぶカードを見たとき、「このリアルさがないんだ」と思いました。それは、お店のディティールの描写のことではなく、「わくわく感」のことです。「カードゲームを楽しむ」ということを、作者であるわたし自身が忘れていたのです。
初めての中篇小説『惜敗と夏』では、そうした失敗があったわけですが、作品自体にはとても愛着があります。姉と弟の一夏の交流を描いた一篇としては、わたしのなかで納得のいくものです。
そしていずれ、『惜敗と夏』の「続篇」を書いてみたいと思うようになりました。増補版のような形で出すかもしれませんし、単体としても読むことができるようにして発表するかもしれません。
今度は、あの日、カードショップでわたしが体感した(そしていまも定期的に足を踏み入れて感じている)「熱量」を、しっかりと表現していきたいと考えております。
ちなみに、カードショップに行くたびに『MtG』(Magic: The Gathering)のパックを買っています。昨年発売された『神河-輝ける世界-』は、小学生のときに『神河』シリーズを手にしたことがある身としては、感慨深いものがあります。
それでは! 寒さ厳しい日が続いておりますが、皆様、お体にお気をつけてお過ごし下さいませ!
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