どうして尼になったのか

元尼僧でした宣言をすると、大概「なぜ出家したのか」を問われます。
大恋愛でもしたの?不倫とか?相手が死んだとか?
皆様ドラマチックな答えを期待するのですが、現実は実に平凡です。
そもそも、尼僧なんてハタチそこらで志願する職業のイメージではないからでしょう。

キリスト教系のシスターだと、生涯の純潔を守り神様と結婚するイメージもあるため若くして志す方もいるでしょうが、現代日本において仏教の尼僧がもつイメージは、ある程度の年齢を重ねた婆さんがメインで、うら若き乙女の尼さんなんて想像できないのだと思います。実際見たこともない。

これはもちろん寂聴(敬称略)的なものが真っ先に喚起されることもあるでしょう。
良くも悪くも、あの婆さんは尼さんのプロトタイプとなってしまいました。恋の苦悩と煩悩が深すぎて、たどり着いた最終地点が出家という、そういうやつです。
しかし、実際はそのルートでなく出家する人間がほとんどです。
少なくとも私の周りで、恋愛沙汰の末に出家した人間は一人もいませんでした。

ところで私がなぜその道を選んだのか、という問いなのですが。
結局のところ「普通の女では中の下くらいだった自分の人生を転換させる大博打」だったのではないかと思います
社会学的に言うと、おしゃれして結婚して子供を産んで、という一般的な女性性への否定ってことになるんですが、そこまで明確に女であることを憎んではいませんでした。
ただ、普通の女の生き方に対して、くそつまんねぇという気持ちは多大にありました。そもそも化粧が嫌だった。意味が分からなかった。
外の世界に生きていれば一生ついて回るその他問題が、自ら捨てることで楽になる、これマジでカッコイイ!!
ってくらいのノリだったと思います。
つまり、ハタチの私なりのやすっぽい打算です。

それでもなりたいものになれるという幸せは、なかなかつかめない。
嬉しかったことには変わりない。
チャンスをモノにできたんだからそれでよかったんじゃないかと、今は思います。その選択ができただけでも、人生に後悔はないのです。


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