自分でない誰かに祈りを捧げる
いま、退職を機に自分自身について向き合っている。
正直辛かったり、戦うような毎日。
でも、こんな時だからこそ、誰かを想いたい。祈りたい、と思った。
私の義母はインドネシア人
私のパートナーの母親はインドネシア人で、先日初めて会った。
初めての挨拶は、「アッサラームアライクム」。
ヒンドゥー教の言葉で「あなたの上に平安がありますように」という意味だそう。
義母は私のことを可愛がってくれ、ヒンドゥー教のお祈りについて教えてくれた。
「家族みんなが幸せであるように、1人1人思い浮かべて祈るのよ。」
そういえば、私の母も
思い返せば、私の母親も毎日お祈りをしている。
母方の実家がお寺なこともあって、神棚にお神酒を捧げて手を合わせる。
「家族が幸せであるように祈ってるんだよ。」
これは世界共通なんだ、と点と点がつながった感覚になった。
祈りとは
そもそも祈りとは、世界の平和や他人の幸せを想うこと。
無宗教の人が祈るシチュエーションなんて、
三が日に神社にて、今年の運勢を神頼みすることくらいしかないと思う。
それを、毎日、他者を想って行う。
なんて尊い行為なんだろうと思った。
自分にできるのは、朝起きて、起きれたことに感謝すること。
そして家族が健やかであればいいな、と強く想う。すなわち祈る。
宗教を信仰しているわけではないけれど、少しでも他者を思いやれたら、
視野も広がり余裕をもって過ごせそう。
1つずつできることから、意識して始めてみようと思った。
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