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あらゆるストレスを解消する方法「線引きスキル」〈解説編〉第三章

 ども。
 線野ひいこです。
 線を引くのが特技です。
「線を引ければ、人生ラクになる」が持論で、あらゆるストレスを解消する方法「線引きスキル」を提案しています。

最初の記事(「はじめに」と全体の構成について)はこちらです。

 今回は「線引きスキル」〈解説編〉第三章です。



第三章 「線引きスキル」でストレスを解消できるワケ


 第二章では、「冷蔵庫のジュースのワーク」で、「期待」と「現実」の関係には3パターンあり、その中でもとくに「ストレスになるパターン」があるとお話ししました。それが

「期待」と「現実」の差(ー) → 最初の感情(ー) → ストレス

このパターンでした。つまり、

ストレスは、「期待」と「現実」にマイナスの差があるところからスタートする

と、言えます。
 ここで、第一章を振り返ります。
 私は第一章で、

「線を引けている人」……ストレスが少ない=生きやすい
「線を引けていない人」……ストレスを抱えやすい=生きづらい

と、お話ししました。これは、裏返すと

生きやすい=ストレスが少ない人は、「線を引けている人」である
生きづらい人=ストレスを抱えやすい人は、「線を引けていない人」である

と言うことができます。
 
 そこで、これらの「線が引けている人」「線が引けていない人」ストレスとの関係を、二章の内容をふまえてチャート図にしました。このチャート図を見ながら、さらに解説していきたいと思います。

線を引けている人/線を引けていない人のチャート図


 こちらが「線を引けている人/引けていない人」のチャート図です。
 二章で見たように

ストレスは、「期待」と「現実」にマイナスの差があるところからスタートする

ので、「冷蔵庫のジュースのワーク」の中でも、「帰宅したらあるはずだから飲もうと思っていたジュースが無かった」というシチュエーションからスタートしています。

 さあ、最初の分岐点はどこでしょうか?
 よく見てみてください。黄色の丸で囲っているところです。

 そう、最初の分岐は「線を引けている人」か「線を引けていない人」かなのです。
 ですから、「線引きスキル」が身についている「線を引けている人」なら、そもそも悩みもストレスも発生しないことになるのです。

 では、各ルートを解説していきます。
 チャート図を見ながら、解説を読むと分かりやすいかと思います。

「線が引けている人」ルート


 まずは「線が引けている人」のルートです。

ジュースがあるはず(期待)

ジュースが無かった(現実)

「期待」と「現実」に差(マイナス)が発生

最初の感情(マイナス)が出てくる
「残念」「がっかり」など

 ここまでは、どのルートも同じ。違ってくるのはここからです。青の矢印ルートを見てください。

「線を引けている人」は「線の向こう側は自分にはどうしようもない」ことが腑に落ちているので、この「期待」と「現実」の差(マイナス)も仕方ない、と納得できます(第一章「線を引けている人」四つの条件の項を参照)。
 このシチュエーションでいうと、「自分の留守中に、家族がジュースを飲んでしまったのは仕方ない。残念だなあ」となるだけです。
 仕方ないので、自分がどうしたいかを考えます。たとえば

・とにかくノドが渇いているから、とりあえず何か飲みたいな
・やっぱりジュースが飲みたい!
・ジュースは飲みたいけど、もう一度外出するのもしんどいなぁ などなど

 これが「自分の本心を確認する」ということです。
 自分の本心を確認したら、そのとおりに、自分で対処したり、行動したりします。

・とにかくノドが渇いているから、とりあえず何か飲みたいな
→ 冷えてる麦茶を飲む
・やっぱりジュースが飲みたい!
→ もう一度外出して買ってくる
・ジュースは飲みたいけど、もう一度外出するのもしんどいなぁ
→ 家族に買ってきてもらえないか頼んでみる(買いに行ってもらえなければ諦める)
  などなど

 以上、ストレスが発生しない「線が引けている人」のルートでした。


「線が引けていない人」ルート

 では次に、チャート図を左に進んでいく「線を引けていない人」ルートを解説します。
 最初の部分は全く同じです。

ジュースがあるはず(期待)

ジュースが無かった(現実)

「期待」と「現実」に差(マイナス)が発生

最初の感情(マイナス)が出てくる
「残念」「がっかり」など

 ここから、「線を引けていない人」ルートに分岐します。赤の矢印ルートを見てください。

「線を引けていない人」は、ストレスの大元である「期待」と「現実」の差(マイナス)は、「線の向こう側の他者」がどうにかしたものであり、どうにかすべきものだと感じます
 この冷蔵庫のジュースのシチュエーションでいうと、たとえばこんな感じでしょう。

「(家族がジュースを)飲んじゃったのかぁ。こっちは用事で外出してるんだし、置いといてくれてもいいのに」
「飲んだなら、補充しといてくれたらいいのに。気が利かない」
「自分が飲むために買ったのなら、そう言ってくれれば、こっちだってヘタに期待しなかったのに。あーあ」
などなど

「線を引けていない人」四つの特徴でいうと、

特徴① 線の向こう側の他者を、自分の思い通りに動かそうとする
・ジュースは、外出している自分のために、飲まずに置いておくべきだと思った
・ジュースを飲んだのなら、補充しておくべきだと思った
特徴② 線の向こう側の他者の考えを、自分勝手に決めてしまう
・家族がそう言ったわけでもないのに「(家族は)自分が飲むためにジュースを買った」と勝手に思っている

この二つが当てはまります。
「線の向こう側は自分にはどうしようもない」のに、このように思ってしまうと、最初の感情(マイナス)は、受け容れられないまま「もやもや」「イラッ」「ムカッ」といった「不快な反応」に発展します。この「不快な反応」がストレスです。

 ちなみに、「不快な反応」というと、「ざわっ」「カチン」「うっ」などもそうだと思いますし、人によって表現もまちまちですが、ここではわかりやすいように「もやもや」「イラッ」「ムカッ」でまとめて、「もやイラムカッ」と呼ぶことにします。

「不快な反応」とは
→「もやイラムカッ」とくる心の反応のこと。ストレスになる。

 ではチャートの続きです。


最初の感情(マイナス)が出てくる「残念」「がっかり」など

最初の感情(マイナス)が受け容れられない

最初の感情(マイナス)は「不快な反応(もやイラムカッ)」に発展する
ここでストレス発生!

ストレスを解消したい!

 ストレスが発生したら、誰でも解消したくなるでしょう。これは、痒いところがあったら掻きたくなる、指先が冷えたなら温めたくなる、といった本能的なものだと私は考えています。
 このストレスをどう解消しようとするかで、また分岐します。チャート図でいうと二つ目の黄色い丸のところです。では、ここから分かれる二つのルートについて解説していきます。

「線が引けていない人」で、ストレスを自分の外側へ出そうとするルート

「線を引けていない人」の二つのルートのうち、まずはストレスを外側へ出そうとするルートです。

「もやイラムカッ」という不快な反応は、さらにより強い「不快な感情」に発展しがちです。「不快な感情」とは「怒り」「苛立ち」「不機嫌」が主なものです。
こうなると、なんらかのカタチで自分の外側へ出してしまわないと収まらないので、他者への攻撃へというカタチに転化します。

・「怒り」「苛立ち」……他者を対象にして不快な感情で攻撃する
→ ジュースを飲んだ家族に対して「冷蔵庫にあるものはみんなのものだ、切れたのなら補充しておくのが常識だろ!」などと怒鳴りつけ買いに行かせる

・「不機嫌」……他者を攻撃はしないが、他者から見てもわかるくらい不快な感情が外側に出ている
→ ぶすっとして冷蔵庫と家族を睨みつけ無言(その結果、家族が気を遣ってジュースを買いに行ったりする)

 ここに書いたのは一例ですが、このように、他者のせいだとして不快な感情で攻撃して、最初の「期待」と「現実」の差(この場合は、ジュースが飲めなかったこと)を埋めようとします。

「線が引けていない人」で、ストレスを自分の内側でなんとかしようとするルート

「線を引けていない人」の二つのルートのうち、次はストレスを内側でなんとかしようとするルートです。赤の矢印を黄色の丸の分岐で右にいくルートです。

「線を引けていない」から、「もやイラムカッ」という不快な反応が起こり、ストレスが発生するところまでは同じです。しかし、この不快な反応を他者にぶつけて解消することはできないタイプの人がこのルートになります。

「線の向こう側の他者」に向けないなら、「自分の内側」でなんとかするしかありません。すると、どうなるかというと、「もやイラムカッ」を自分の内側で抑え込んでしまうのです。たとえば、こんな感じです。

「置いといてくれてもいいのになぁ、とは思うけど、しかたない。そもそも買ってきていたのは家族だし、文句なんか言っちゃいけないよね。我慢我慢。麦茶飲もう」
「えー、飲みたかったのに。でも、家族に言ってもどうせ買ってきてくれないだろうし、もう、自分で買いにいこう」
「飲んだのなら補充しといてくれたら助かったのになぁ。買ってきてくれないか頼んでみよう」(買いに行ってもらえないと、また「もやイラムカッ」を感じる)

 ここで注意が必要なのが、このルートの「線が引けていない人」が最後にとった行動は、青の「線が引けている人」と同じだということです。なぜ注意が必要なのかは、このあとで説明します。

二章・三章のまとめ

 二章でやったワーク、そして三章ではそのワークをもとに作ったチャート図を示して、「線が引けている人」「線が引けていない人」とストレスとの関係を解説してきました。

 ストレスが発生するかどうかは、「線を引けている」「線を引けていない」で分かれます。だから、「線引きスキル」を身につけていて「線を引けている人」はストレスが少ないのです。

 また、ストレスは「もやイラムカッ」という不快な反応から始まりますので、「もやイラムカッ」を感じるかどうかは、「線を引けている人」「線を引けていない人」を見分ける目安にもなります。
 もし、自分が「線を引けている人」なのか「線を引けていない人」なのかがピンとこないなら、この「もやイラムカッ」を感じることが普段からよくあるかどうかを胸に手を当てて考えてみてください。とくに「ストレスを自分の内側でなんとかしようとする」タイプの人は、最後の行動が「線を引けている人」と同じなので、自覚がないことも多いです。自覚がないことが多いからこそ、注意が必要なのです(ひとつ前の項で言ったのはこのことです)よーく自分を観察してみてください。
 また「あの人はどうなんだろう?」と気になる人が周囲にいるなら、同じように観察してみてください。やたら怒鳴り散らすような人、不機嫌オーラをまき散らす人は「線が引けていない人」といえます。


 このように「線引きスキル」は、誰でも身につけているわけではありません。
 なぜ、このスキルを持っている人と持っていない人がいるのでしょうか。
 このことについて、次章で解説します。


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