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良い人でいるのも案外悪くないかも


詩を書くようになって感性が磨かれているのはいいのだが、心の渇きにも敏感になってしまった。
昨夜、恋人のいない寂しさがあまりに苦しかったので、出会いを求めてバーへ向かった。
向かったのは地元民に愛されているとネットで評判だった店。
動機こそ不純であったものの、その心を表に出してしまったら場の空気を悪くするし、そもそもそんなので人間関係うまくいくはずがないからと、僕は「慎ましく飲もう」と心に誓って扉を開けた。

マスターに案内されたのは端っこの席。
隣に座っていたのは年下の男の子であった。
互いを流れる空気感を察知して、僕は自然と話しかけていた。
慎ましさスイッチが完全に入っていた僕は、とにかく今目の前の子を愛そうと思って、その場に合う言葉を探し続けていた。
元ラグビー部だそうでガタイはしっかりしていたが、話を聞いてみると根は繊細で優しそうな子である。
お酒の失敗談や人間関係の悩みなどを「わかるなー」と聞いていたら、タバコをもらった。
可愛かった。

その子が帰ると、空いた席に座ったのは15年ほどバンドでギターボーカルをしている方だった。
興味が沸いたので「色々質問したいけど、まずは曲を聞きたい」と言ったら快く聞かせてもらえた。
その曲は、音楽を純粋に楽しんでいる感じが好きだった。
創作者特有の、なかなか気難しそうな人ではあったが、いい話を聞かせてもらった。
その人も一時間ちょっとで帰っていった。
僕はもう一杯だけ飲むことにした。

夜も更け、カウンターには僕を除いて4人。
仕事を上がった店員さんと、常連(?)の女性2人と、初めてバーに来たという大学生の男の子。
その4人で盛り上がっている。
僕は集団での会話はひどく苦手だから、隣にいた4人のうちの1人(女性)と空気感さえ交われば一対一で話してみたかったのだが、その人は僕に背を向け3人と話をしていて、僕と話そうという素振りを見せてくれない。
がっついてもダサいと思って、仕方ないと割り切りつつしっぽり飲んでいたが、やはり少し残念にも思った。

すると最後お会計の際にマスターが、
「最後寂しくさせちゃってごめんね」とフォローを入れつつ、名前を聞いてきてくれた。
見ていた感じ、誰にでもそういう接客をする人ではなさそうだったので、多分ウェルカムされたのだと思う。きっと入店から退店までの立ち振る舞いを気に入ってくれたのだろう。

再訪を歓迎されていることに気づいた直後は少々嬉しくもあった。
しかし店を出た後どうしても何か満たされない感覚が残っていた。
それは当初の目的が果たされず女性との接触がなかったからというのも少しあるが、より強かったのは演技をし続けたことによる自己嫌悪に似た空虚感だったように思う。



僕はほぼ誰と接している時も本来の自分が隠れてしまっている感覚を覚える。
肩に自然と力が入ってしまっており、気を張ってしゃべっている。
会話の中で自分の心が現れることはまずない。
会話を盛り上げるために悲しそうな表情をしたり、悩みを打ち明けたりすることもあるが、どこまで行っても本当の表情ではない。
こんな薄気味悪い自分を度々嫌ってきた。

でも、と思う。
これが僕に合った戦い方なのかもしれない。
基本的には本音を見せることはできず、探り探りいい顔をしてしまうが、
もしも。
もしも気の合う人と出会ったら、自然と心を曝け出せるような気もする。本当にごく自然に。
肩の力が抜け、色んな空想世界について語り、意気投合し、とにかく一緒にいて楽しい人。
ならばその人が現れるまで待ち続けるのが僕の性に合っているのではないか、と思った。
それが10人だろうが100人だろうが、“その人”が来るまで自分の感性に耳を傾け続ける。
肩にも心にも常に力が入っているからこそ、逆にその緊張が解れるセンサー、つまりは運命の人センサーは敏感なように思うのだ。
となると、今回のように場を提供してくれるマスターに気に入られていて損はない。

そうか。
良い人を演じ続けて、気の合う人が現れるのを待つ。
気の遠くなるような道のりだ。
と思った。

けれどこれもまた詩で消化してしまえばいい。

というわけで詠んだ短歌を載せて終わろうと思う。


居ぬ峰に
蜂にも逢わず朽ちる花
己が美学やこれ如何ほどか



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