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『DJ、向いてないよ?』 スクール時代から気づけば4年経ってました。


こんばんは。

DJをしていると、よく聞かれる質問があります。

『きっかけは何だったんですか?』

『どうやってDJ勉強したんですか?』

『やってみたいです!簡単ですか?難しいですか?』


こんな質問をしないまま、気づけばDJスクールに通っていました。先生の名前は伏せますが、スクール終わりに泣きながらミナミの街を歩きながら帰っていたのを今でも覚えています。

なぜそこまでしてDJをしたかったか?

わたしには夢がありました。

自分の大好きな音楽でDJしたい!

いつかShawn Wasabiさんのようになりたい!

そんな夢も、スクールに行って3ヶ月。たった3ヶ月で砕けちりました。


『自分、やばいで?』

『このままじゃクラブどころか、バーとかでDJするのも無理やね』

『DJ、向いてないよ?』

3ヶ月練習した結果、これでした。本当に悲しくて、情けなくて、悔しくて。DJが"できている"人が、心の底から羨ましかった。

ピッチが合わずジョグを永遠に回したり、(そして永遠にピッチがずれてゆく→怒られる)、当時、BARONG FAMILYから出ている曲がすきで(その頃はレーベルとかって何かもわかってなかったです)、そこから選曲すると、サブい選曲をするねって言われたり。イントロとアウトロで繋ぐというシンプルなのでも、縦フェーダーをさわるわたしの指をつかんで、まだ早いわ!と言われたり。

あんなにキラキラしてた自分が、気づけば理由をつけてスクールには行かなくなりました。大好きだったBARONG FAMILYの曲も聴けば辛くなって聴かなくなったり、DJ向いてないんだ、自分。って、心底悲しみに暮れました。

そこから2ヶ月後、転機がやってきました。

スクールの先生から、担当が変わるのでと、新しい担当の方から連絡がきました。散々、もうDJなんてやりたくない。そう思っていたくせに、何度も何度もラインを読み返しては、何で返事しようか。お金もかかるし、いつクラブでDJできるかわからないし、また怒られたら怖いし。そう思っていたけど、気づけば次の週にスクールにわたしはいました。

もう一度頑張ろう。

それで無理なら、諦めよう。


4年の月日が経ちました。海外でもDJするようになりました。当時、バリバリDJしてたり、注目されていた同期もいましたが、いろいろな理由でやめていきました。

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『アー写って撮ってみたいけど、恥ずかしいナァ』

『そもそも、カメラマンの知り合いいないぞ!!?』

『ブッキングってどうやってもらうの?』

『もっとたくさんのジャンルを聴いてみたいな!』

今DJ活動ができているのも、誰かがパーティを開いていて、その中で誰を呼ぶか選定して、選んでいただいている。寝て起きてるだけだと出演の可能性の母数はなかなか増えません。だから、ブッキングほしい!って人はまずいろんなパーティに遊びに行ってみてください。自分はどんな音楽がすきで、どんなパーティにでてみたいか。具体化することがとても重要です。

それを自分でさえわかっていなかったから、イベントオーガナイザーもよくわからなくて呼べないからです。

わたしはまだDJ歴4年くらいですが、ふと、自分の名前が初めてフライヤーに載ったことや、ゲストDJとして呼ばれた回なんて、もう思い出中の思い出なので思い出すとほっこりします。どんな時でも、初心にかえる事はとても重要です。

またDJ始めたての頃なんかの話など、書いていきたいなと思います😌

[続く]

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うれしい!
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関西中心に活動するDJ。活動は年50回程、海外(バリ島)でのDJ経歴あり。インドネシアのクラブミュージック『Jungle Dutch』を愛しています。DJをしてみたい方は、ぜひご連絡ください。
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