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『せな先生!大好き!』 教員志望からDJになりました⑴


小学校、中学校の思い出は9割イヤな思い出しかありませんでした。だから私は教員になりたいと思ったのだと思います。

教員といってもいろいろありますが、私は現在、小学校教員免許状と幼稚園教員免許状を取得しています。平たく言うと、大体の場合において小学校或いは幼稚園現場で教育者として働くことが現在も可能です。

※平成21年4月1日以降に授与される新免許状(更新制導入後)の有効期限は、所有資格を得てから10年後の年度末までとなります。

逆に言うと、今までは教員免許状を取得したら、一生資格として保有することができた、ということです。

私は更新制導入後の対象で、これは更新講習というものを一定期間内に受講すると引き続き資格として保有できます。運転免許証と同じようなイメージです。

小学校・幼稚園の免許状を保有していますが、メインは小学校教員志望で(なぜこの2種類を保有しているかは後ほど説明します)

本日は、

・なぜ小学校の先生志望からDJになったのか

・免許状取得までの秘話

なんかをお話しできればと思います。

小学校時代、とにかく私は昆虫採集とゲームが大好きでした。周りには男の子の友達がいつもいました。昆虫はいつも図書館で借りた分厚い図鑑を読んで、虫の絵を描いたり、金柑の木を見つけては、モンシロチョウの卵がないか探してみたり。友達からは当時”昆虫博士”と言われて、わからない昆虫があれば私のところに持ってきて、名前や飼育方法をよく聞かれました。

特にポケモンにはとてもはまって、当時は金・銀とかが全盛期でよく対戦したりポケモン交換をして夜遅くまで楽しんで家に帰ったら親に怒られていたことを今でも覚えています。

自分は小学校低学年の頃に両親が離婚していました。離婚したことに対して、なんとも思っていませんでした。自分の家は自分の家という感じで、他のお家が羨ましいなんて一度も思ったことはありませんでした。

ただ、苦しかった思い出もありました。

小学校3年生の頃だったと思います。日本には、母の日・父の日なるものがあって、その似顔絵を描かないといけないという、本当になくなればいいと切実に思った行事がありました。

絵が描けない・・・

みんながスラスラと描きながら隣の席の子に「見て見て!!」なんて言っている声を小耳に挟みながら、私は右手に、インクがなくなりかけのハガキペンを震えながらもっていました。小学生ながらに、嘘でもいいから何か描け!と思い立たせ、横の子が描いている絵を真似しようとしているところでした。

「どうした?体調悪い?」

先生でした。先生は、わたしの親が離婚していることを知っています。ですが、自分からは、似顔絵が描けないということを言えませんでした。きっと察してくれるだろう。そう思い、黙って下を向いたままじっとしていると、

「想像でもいいから描けないかしら?今日できなかったら、次の授業で完成させてね。」

そう言って先生は去りました。この一件が私の人生においてかなり影響しました。

この日以降、先生というのは人の気持ちがわからない、最低な人だと思いました。幼い頃のイヤイヤ期がぶり返ったかのように、先生の言うことは全く聞かないようになりました。

※近年では、母の日・父の日ではなく「家族の日」という括りになり、絵は好きなものを描いていいそうです。現役の小学校教員の友人から聞き、ほっこりしました。

そうして、小学校6年生の頃。いわゆる「女の子」が好むような遊びを全然しなかったこともあり男の子の友達がずっと多かったのですが、思春期に入る頃には「男好き!」と影で言われ、だんだん友達がいなくなってしまいました。みんなで昆虫やゲームの話ができたら、、と、切実に思っていました。周りの女子たちは、○○組の誰々くんかっこいい!とか恋話に盛り上がっている中、その男の子とゲームの話なんて学校でしていると、冷たい目でみられたものです。

思えば、小学校の頃なんて特に「恋愛感情」というものが全くありませんでした。男性が好み、女性が好み、なんてものもなく、異性に対するドキドキ感がなく育ちました。なので、告白話なんて聞いても、ふーんって感じで興味がなかった。どちらかというと、男女関係なく、お互いのことを理解し合えた状態で付き合うとかならありかも?と思ったくらいです。最近では「交際0日婚」なんてワードもあり、時代が変わったなあなんて思っています。

そんなこんなで、中学校時代も引き続き友達がいないまま過ごしました。お弁当もいつも1人で食べました。一緒にお弁当食べようと誘ってくれた女の子もいました。女子というのはなぜあんなにグループをつくり固執するのか?当時から疑問に思ったものです。

ただ、誘ってくれたことには嬉しかったので、そのグループで一緒に食べることになったのですが(6人ぐらいのグループでした)

いつも、誰かの恋愛話か、誰々が嫌い!とかの愚痴か、どちらかでした。苦痛でした。ご飯を食べるのは学校生活の中でも楽しみな時間なのに、興味のない話でお弁当がまずくなると思っていました。

そんなある日、もともとお弁当を一緒に食べようと誘ってくれた子から手紙が渡されました。

「ごめんだけど、やっぱり1人で食べて欲しい」

「みんなが言ってるから、、明日からよろしくね」

人間が嫌いになりました。涙も出ず、ただただこの人間たちから離れたいと考えていました。

転機は中学校3年生。受験シーズンに入り、私の学年のみんなは本当に優秀な年代と言われ、大阪の中でも進学校にたくさん志望していきました。わたしはそこまで賢くなかったのもありますが、絶対に中学校のメンバーと被らない高校を探しました。そして入学したのは、農業の高校でした。

誰がどこの高校に行くかは結局バレるので、自分がその高校に行ったこともバカにされましたが、やっと環境が変わると思い、幸せな気分でした。

高校では友達たくさんできるかな。農業のことも勉強したいな。メガネからコンタクトにしたいな・・・。

そんなことを想像しながら、高校に入学。

すぐに友達ができました。その友達とはたくさん喧嘩もしましたが、社会人になって、DJになった今でも仲が良いです。

今まで喪失した自信が返ってきたようで、ほっこりしました。

そうして、高校3年生。進学校ではなかったので、みんな高校卒業して就職するか、大学に行くかの選択でした。勢いよく、中学校のメンバーと会いたくないを理由に選択した高校でしたが、先のことを考えていなかったので、どうしようかと必死に悩みました。

そんな時、思い出したのは、母の日・父の日の似顔絵のことでした。

(続く)






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