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『政秀寺古記』を読む 第12話「小牧山新城落成時之連歌之事」

第12話「小牧山新城落成時之連歌之事」

一、小牧山を新城に成され候て成就の時、京都より紹巴を呼び下され、御祝儀の連歌を百韻仰せ付けらるべき旨也。
 在国の連衆は、塙茂元、岡田見桃、篠木の北野抔と云ふ者に仰せ渡され、「御褒美は信長卿より二百貫文、御家中より百貫文出すべし」と仰せ付けられけり。
 角て、紹巴、下国にて発句に、
  朝戸あけ 麓は柳 桜かな
と致されそらへば、信長卿、御耳にたち候て曰く、「紹巴は聞き及びしより、発句下手也。新城の祝儀に遠路呼び下し候甲斐もなく、言ふもまだ有るべくに、『あける』などと云は、不吉なり」と仰せられ候て、居長高くならせ候て、御気色変じ候由、聞や否や、夜逃に落ち去りけりと也。
 『信長記』には書いてなし。

【現代語訳】

一、織田信長は、居城を小牧山に築くことにし、永禄6年(1563年)7月、その新城・小牧山城が落成したので、清洲城から移り、その記念に連歌の会を開催することにした。京都から有名な連歌師・里村紹巴を呼び、連歌百韻、詠むこととなった。
 尾張国の連衆(れんじゅ。連歌の会に参加して詠む人)は、塙茂元、岡田重忠(見桃斉)、篠木郷の北野等に決め、「ご褒美は、織田信長から200貫文、家中より100貫文、計300貫文出す」という。ご祝儀だけに、大盤振る舞いであった。
 そして、里村紹巴が、京都から尾張国に下り、連歌の発句に、
  〽朝戸あけ 麓は柳 桜かな(立派な城が完成した。織田信長が天下を狙う朝(始まり)にふさわしい城である。戸を開けると、小牧山城の麓(天下)には柳や桜が、織田信長の門出を祝っているのが見えた。)
と詠むと、織田信長は、その発句を聞いて、「里村紹巴は、連歌の達人だと聞いていたが、この発句は下手だな。新城の祝儀に遠路遥々、京都から呼んだ甲斐がなかった。目出度い言葉はたくさんあるのに、よりにもよって「(敵に攻められ、破れての)開城(明け渡し)」に繋がる「あける」という言葉を選ぶとは不吉である(呪いでもかけようというのか)」と言って、「背筋を伸ばして、顔色が変った」と聞くや否や、里村紹巴は、(「切腹させられる」と思ったのか、)夜逃げして去ったという。
 この話は、太田牛一の『信長公記』には書いてない。

【解説】

 第11話が連歌の話だったので、思い出して連歌の話を書いたのでしょうけど、小牧山城落成は、美濃国を手に入れる前ですので、この話を第12話にするのはまずい(年代順ではない)ですね。

 織田信長と里村紹巴と言えば、里村紹巴が2本の扇子を台に乗せて、織田信長に献上すると、織田信長は、
  〽二本(日本)手に入る 今日(京)の喜び
と下の句を詠み、里村紹巴に「この後に上の句(発句)を付けよ」と命じた話が有名ですね。さすがに、
  〽朝戸あけ 麓は柳 桜かな
とは詠めないので、
  〽舞いつるる 千世万代の 扇子にて
と慎重に(恐れ多い内容だけど)詠んだそうです。織田信長は「やれば出来るじゃん。発句も詠めるじゃん」と褒美を与えたそうです。
  〽舞いつるる千世万代の扇子にて 二本手に入る今日の喜び
ですか。織田信長の下の句の凄い点は、2つの掛詞に注目されがちですが、「喜びの今日」とせずに、「今日の喜び」とした点ですね。歌意は、「1000年以上天皇(2本だから、天皇と将軍かな)が治めてきた日本を、今日、手に入れた(手なづけた?)ので、嬉しい」ですかね。
  〽朝戸あけ麓は柳桜かな 小牧城建つ今朝の喜び(by 戦国未来)
お粗末 m(_ _)m

※参考:『織田軍記』巻第七「新公方 御帰洛ノ事」
 扨、洛中の者ども、諸町人、諸職人等、其外、医師・驢庵、道三等、連歌師・紹巴、心前、昌叱、此者どもを始めとして、諸道諸芸に名を得し者ども、我劣らじと進物をささげて、東福寺へ参上申し、信長公へ御礼申す。
 皆々御対面にて、一人一人それぞれに、御挨拶ありければ、諸人皆よろこび、今まで音に聞こえしは、鬼神の様に承りつるが、それとはかなり候うて、扨々柔和に慈悲ふかき信長公にてましますぞと、皆々ほめ合ひよろこびけり。
 中にも、連歌師の紹巴法師は、末広の扇子二本台にのせて献上申し、御礼申上げければ、信長公御覧じて、
  二本手に入る今日の喜び
と御出吟あり。「是につけられ候へ」と仰せられたりければ、紹巴は、取りあえず、座もさらで申し上ぐるには、
  舞いつるる千世万代の扇子にて
と付け申上ぐれば、殊に御感悦あつて、御祝儀の下され物も余人よりは加増せらる。

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