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2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』

 2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、北条義時(小栗旬さん)を主演として、源頼朝の死後の「十三人の合議制」について扱うらしい。(「13」が漢数字ではないということは、タイトルは横書き?)
 ドラマは、源頼朝の死から始まると思うが、ぜひ、源頼朝の死の真実をあばいていただきたい。(源頼朝は、糖尿病で、落馬して死んだと言うが、武士の棟梁がそんなみっともない死に方をするはずがない。多分、暗殺されたのだと思う。)
 13人の群像劇になるのだろうか? 47人の群像劇『忠臣蔵』みたいな感じに仕上がる? いや、『新選組!』のような感じだろ。

大江広元(1148-1225)  公文所別当 → 政所別当
三善康信(1140-1221)  問注所執事
中原親能(1143-1209)  公文所寄人 → 政所公事奉行人。京都守護
二階堂行政(?-?)    政所家令 → 政所執事
梶原景時(1140-1200)  侍所所司 → 侍所別当。播磨・美作守護
足立遠元(?-?)      公文所寄人
安達盛長(1135-1200)  三河守護
八田知家(1142-1218)  常陸守護
比企能員(?-1203)      信濃・上野守護
北条時政(1138-1215)  伊豆・駿河・遠江守護
北条義時(1163-1224)  寝所警護衆(家子)
三浦義澄(1127-1200)  相模守護
和田義盛(1147-1213)  侍所別当

「13人について原稿を書いて」と私なんかには依頼は来ないだろうけど、来た場合、書けるのは、梶原景時、安達盛長、北条時政の3人だな。あとは無理。

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 ──気になるのは三浦義澄

「三浦」と聞いても、今川氏真の側近と、もう1人しか思い浮かばないけど・・・その1人とは・・・。

 昨年、トヨタ自動車の創業家の調査をした。
 遠祖は、豊田与太夫という宇津山城(静岡県湖西市入出)の武士だったという。徳川家康軍酒井隊に宇津山城を落とされると、帰農して庄屋になったという。屋敷付近の石で浜松城の石垣を作ることになり、本多重次と知り合ったという。そして、本多重次の頼みで、身重のお万の方を匿ったという。(その後、お万の方は中村屋敷に移って双子を産み、そのうちの1人が結城秀康になった。)
 豊田屋敷を解体した時、天井裏から大量の古文書が出てきたが、読めなかったので捨てたそうだ。残念!
 この豊田氏の分家がトヨタ自動車の創業家だが、上の写真のお墓に眠っている日勝大姉が安永4年(1775年)に亡くなって絶えたという。それで、佐原伊吉が養子となって豊田家を再興し、発明王・豊田佐吉が生まれた。

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 佐原伊吉の佐原氏とは、碑文に「高望王七葉孫三浦大介義明七男佐原十郎左衛門義連住于相州三浦郡佐原村因為氏」とある。佐原氏の始祖・佐原義連は、三浦義明の7男だと聞いて、三浦氏に興味を持った次第である。(ただ、佐原氏の調査はここで終了。金欠で三浦荘(神奈川県横須賀市)へは取材に行っていない。「腹切松公園」の「三浦大介腹切の松」や鎌倉市の来迎寺などへ行きたいんだけどな。サポート期待!)
 三浦義明の二男が「十三人の合議制」の三浦義澄になる。

三浦義継─義明┬長男:杉本義宗【和田氏の祖】─和田義盛「13人の合議制」
        ├二男:三浦義澄「13人の合議制」─三浦義村
        ├三男:大多和義久【大多和氏の祖】
        ├四男:多々良義春
        ├五男:長井義季
        ├六男:杜重行
        └七男:佐原義連【佐原氏の祖】…佐原伊吉─豊田佐吉…章男

※参考サイト「三浦一族」
https://www.pref.kanagawa.jp/docs/d2t/kanko/p632176.html


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