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『信長公記』「首巻」を読む 第38話「鳴海の城へ御取出の事」

第38話「鳴海の城へ御取出の事」

 御国の内へ義元引請けられ候ひし間、「大事」と御胸中に寵り候ひしと、聞こえ申し候肢り。

一、鳴海の城、南は黒末の川とて、入海塩の差し引き、城下までこれあり。東へ谷合打ち続き、西又深田なり。北より東へは山つゞきなり。
 城より廿町隔て、たんげと云ふ古屋しきこれあるを御取出にかまへられ、水野帯刀、山口ゑびの丞、柘植玄蕃頭、真木与十郎、真木宗十郎、伴十左衛門尉。
 東に善照寺とて古跡これ在り。御要害に候て、佐久間右衛門、舎弟左京助をかせられ、南、中島とて小村あり。御取出になされ、梶川平左衛門をかせられ、
一、黒末入海の向ふに、なるみ、大だか、間を取り切り、御取出ニケ所仰せ付けらる。
一、丸根山には、佐久間大学を入れかせられ、
一、鷲津山には、織田玄蕃、飯尾近江守父子入れをかせられ、
一、大高の南、大野、小河衆をかせられ候ひき。

【現代語訳】

 尾張国内へ今川義元の軍勢が侵入してきたので、織田信長は、「これは大戦になるぞ」と胸中に思ったという。

一、鳴海城。この城の南側は、黒末川(扇川)と言って、入海で、潮の満ち干が城下まであった。東へは谷が続き、西は深い田であった。北から東へは、山続きである。
 鳴海城より20町(2.2km)北に、「丹下」という古屋敷があったので、これを砦に改修して、水野帯刀、山口守孝、柘植玄蕃頭、真木与十郎、真木宗十郎、伴十左衛門尉を入れた。
 鳴海城の東に善照寺という寺の跡があった。ここを砦に改修して、佐久間信盛、弟・佐久間信直を入れた。
 南の中島という小さな村があった。ここの屋敷を砦に改修して、梶川高秀を入れた。
一、黒末川の入海の反対側に、鳴海城と大高城の間を遮断するために、2つの砦(丸根砦、鷲巣砦)を築いた。
一、丸根砦には、佐久間盛重を入れた。
一、鷲津砦には、織田秀敏、飯尾定宗父子入れた。
一、大高城の南の2つの砦(正光寺砦、火上山砦)については、正光寺砦(佐々政次)に大野衆(佐治)、火上山砦(千秋季忠)に小河衆(水野信元)を入れた。「向山砦」もあったという。

【解説】

 「桶狭間の戦い」でまず犠牲になったのは、佐々正次と千秋季忠でした。
 通説では、「この2人は中島砦にいて、織田信長が善照寺砦に入るのを見て出撃した」ですが、織田信長の命令がないのに出撃した理由が分かりません。
 一説に、織田信長が正光寺砦に入れた大野衆(佐治)と火上山砦に入れた小河衆(水野信元)が逃げ出したので、その責任をとって出撃したのだとか。

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