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都議選の敗戦をかえりみる

選挙ジャパン代表おかたかしです。

区議選2勝・区長選1敗を経て、選挙コンサルタントに転じておりましたが、いろいろありまして7月4日投票の都議選に出馬しておりました。

結果は、あえなく落選。
衆議院議員選挙をみすえて、選挙コンサルタントに復帰です。

落選のネガティブな経験が上書きされたとのご批判にこたえるべく今回の敗戦をかえりみます。

2011年・区議選

最初の選挙からかえりみます。

大田区議選は、定数50の巨大選挙区。当選ラインは3,000票前後。

民主党(当時)の公認をとって、選挙6か月前から本格的に政治活動開始。会社を退職するまでの2か月間は、主に朝の駅頭。政策学校「一新塾」仕込みの私はかくありたいといった演説を一生懸命やってました。今思えば、耳を覆いたくなるクオリティでしょうけど、記録動画もないのでわかりません。

直前の4か月は、会社を退職して昼間も時間があるんで、政党のテンプレチラシをもって闇雲に戸別訪問。これ反応悪かった。所属政党の逆風吹き荒れてまして、ありとあらゆる政権批判を一身に受けました。タフにはなりました。闇雲な戸別訪問に恐れをなして、自分のツテを訪ねることに切り替えました。そうして積み上げた有権者名簿は今も私の財産です。

選挙本番は、お金をケチって選挙カーに看板もスピーカーも載せない。選挙事務所は2週間だけ。とはいえ、商店街のいいところにたまたま借りれた選挙事務所では、商店街の人情味あふれる先輩方にお世話になってその後の政治活動も支えていただくこととなりました。事務所は大切。

選挙本番で一番お金をかけたのは、3D選挙ポスター。公費負担を超える出費をしました。選挙コンサルタントの常識からはあり得ない。選挙区全体で話題を呼んだ名刺代わりのポスターです。

インターネットやSNSも一番活用した候補者でした。10年前、まだインターネット選挙活動が認められていませんでしたが、まだブルーオーシャンだったインターネットから多くの票を獲得して、当選したと自負しています。

2015年・区議選

2度目の区議選。当時は、民進党所属。相変わらず、政党への風当たりは悪いのですが、現職なので政党色はかなり薄くして、自分の実績と名前をアピールするだけです。

有権者名簿も、日常の議員活動を通じて大きく積みあがっていました。議員の政務活動費で定期的に区政報告をお送りしているので、名簿からの集票も手堅い。さらに、選挙直前の2か月で集中的に戸別訪問もかけました。効果的な戸別訪問の技術はここで身につけました。

選挙本番は、やはり、お金をケチって選挙カーに看板もスピーカーも載せない。選挙事務所は今回は、自宅!
ポスターは前回暴れすぎたので、シンプルに。事前ポスターはやる意義を見出せなかったので、No事前ポスターをひとり主張してました。

全体的にローコストで、インターネット選挙活動がはじまっていたので、ブログ・SNS・メールマガジンと出来ることはすべてやりました。

危なげなく、9位で上位当選しまして、区議会議員からの転身を模索しはじめます。

2019年・区長選

大田区長選は、同じ選挙区ですが定数1の小選挙区。当選ラインは7万から10万票。

無所属。組織無しでチャレンジ!

区長選挙は難しい。全30万世帯に私を認知させなきゃいけない。30万枚のチラシポスティング!!戸別訪問はちょっと無理でした。

街頭演説でアピールしたいところですが、同時に区議選も実施されるので、常に多くの候補者が立っているので、区長候補であっても目立てません。。。もちろん、事前ポスターも貼りません。

区議選と同時だと、区長選挙の投票率は比較的高いため浮動票が集まるかと期待できそうですが、区議選のついでに区長選挙へ投票する意識もあるから、多くの区議を従えた現職区長が有利になります。

結果は当然に落選。野党共闘を主体にした候補者より上回る次点だったので、組織戦じゃないところに一定の成果は感じました。

3人しか候補者がいないからこそ、区議8年間で積み上げたインターネット上のテキストデータ、および、選挙公報で比較検討された有権者も多くいたことでしょう。

2021年・東京都議選

ようやく本題。

都議選(大田区選挙区)も、やはり同じ選挙区。定数7で、15人も立候補した乱戦。当選ラインは23,000票。

今回は、国民民主党の公認候補。政党から人的支援もいただきました。

今回は、大田区の中心地に3か月事務所を構え、街宣車も4列シートのハイエースを3か月走らせるという大がかりに展開しました。

かなり出費したので、ここからはおひねり頂戴の有料にします。どうぞよろしくお願いいたします。

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