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【愛情の伝え方】

鍼灸師で易占家の仙亀です。

占いのお仕事をしていると、恋愛や夫婦仲、家族関係についてのご相談をしばしばいただきます。

そんな人間関係のもつれには、愛、というのが介在していることが多い。


愛情というやつがあります。
それとは別に、愛するっていうことがあります。

愛情、っていうのは、情のかけ方。
それを僕は思いやりって呼んでいます。

愛するっていうのは、そんな愛情をどうやって行動に移すか。
そんな風に僕は思っています。


愛情をかけた行動は、自らの具体的な行動すべてに宿すことができる。
だって、愛情っていう思いは、行動を表現することに付随させる表現力になるからね。

そんな愛情を伴わない行動は、もしかしたら、愛情を求めている人からすれば、とても殺伐と感じてしまうかもしれない。
行動表現や表情は、感情エネルギーにパフォーマンスが左右されますからねぇ。

舞台演劇などでは、ココロのエネルギー=情熱というやつが、どれほど宿っているかで、表現の迫力に違いが出たりして。
※音楽もそうですね。
演奏などでも、情熱という感情エネルギーの有無で、表現力には露骨な違いが生まれる。



その人が思いやりのある、愛のある行動をしたのであれば、それはその人なりの愛情表現となって、相手や周囲に伝わる。
そして、受け止める人がどう受け止めるかは、受け止める人の問題。

周囲の人に思いやりのある、愛情あふれる行動をとって、人に道を譲りました。
譲られた人がその人の行動に愛情を感じるかどうかは、譲られた人次第。


でも、受け止める人が、愛情表現する人に、愛を要求するっていうのは、単なる欲張り。
愛情表現する人が思いやりをもって道を譲っても、譲ってもらう人がほかのことをその人に要求するかもしれない。
でもこれって、欲張りっていうこと。


愛情っていう思いやる心は、モノじゃないから。


愛情っていう相手を思いやるという感情は、行動にのせることでしか、思いを届けることはできない。

そんな形のない愛情は、行動でしか示せない。

それを、こんな風な愛がほしい、っていう風に要望するのは、愛をモノと勘違いしているから。


人から愛されたいなぁと思う人は、人のココロを欲しがるような欲張りさんになっていると、なかなかその人から与えられている愛情=思いやる心を感じ取ることができないのかもね。

もちろん、愛情も情だから、いつも行動に乗せ続けるのって難しいかもしれない。
でも、ほかの感情と違って、意志を働かせることさえできれば、愛情を表現することは、必ずできるんじゃないのかなぁって、思います。
人を愛するのって、難しいとは思うけど。
意志を働かせることだから、やろうと思えば、きっとできる。
※昔々のお見合い結婚で50年以上連れ添っておられるおじいちゃんおばあちゃん。
商店街で手をつなぎながら歩いていく後姿を眺めていると、絶え間ない愛情表現をし続けてこられた賜物なんじゃないかなぁって、おもいます。
お見合いだから、最初から自然と生まれる愛という感情が宿っていたわけじゃないだろうからね。
でも、意志を働かせて、愛情を表現し続けてきたから、こうしたことを現実として保つことができているんじゃないかなぁって、率直に思います。


普段から愛情表現の勘違いのことを、漫然と思っていたのですが、今日はそんなことを書き留めてみたい気分だったとさ。

最後までお読みいただきありがとうございます。


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