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第6話 実名購入制 ~マスクの乱を制する~

2020年2月2日~2月6日

 台湾は、マスクの乱(第5話)の解決策として、2020年2月6日、事実上のマスク配給制ともいえる実名購入制に踏み切った。マスク生産が需要に追いつくまでには時間を要することから、①必要な人にマスクが届くこと、そして、②できるだけ多くの人にマスクがいきわたること、を最優先事項としたことから導き出された解だった。政府が全てのマスクを買い上げ、販売店に販売業務委託する形式を採った。

 台湾では、国民全員が健康保険カードを所持しており、衛生福利部健康保険署が一括してその情報を管理している。実名購入制では、保険薬局で健康保険カードを提示し、1週間に1人2枚のマスクを買うことができるようになった。(健康保険に加入していない外国人居住者は、パスポートまたは居留証で購入可。)マスクは1枚5元(約18円)。購入履歴情報が全国で一元管理され、購入後はシステムにロックがかかり、1週間後にならないと再購入はできない。大行列を回避するため、カード番号末尾の奇数番号と偶数番号で購入曜日を分けた。回線がパンクしないように巨大なサーバーも買いつけた。
 2月6日の実名購入制導入と同じ日にマスクの地図アプリも立ち上がった。どの薬局にどれだけマスクの在庫があるかが一目でわかるアプリだ。国民はアプリを使って近くの薬局のマスク在庫数を確認し、指定時間に買いに行けばよい。アプリの運用にあたっては、利用者の意見を素早く反映しながらアプリを随時改善し、マスクの在庫データも30分ごと(2月7日からは30秒ごと)に更新した。
 実名購入制導入以降、マスクの行列が完全になくなるまでにはさらに日数を要したが、国民からの不満の声は減った。それは、苦労はしても「必ずマスクが手に入る」という見通しが立っている、という状況が大きかったのだろう。国民みんなが少しずつ我慢をすれば、マスクを確保できるようになったのだ。また、台湾政府は、マスクに関わる違法な転売やフェイク情報の流布も取り締まり、マスクをめぐるパニックを早期におさめていた。その後、マスク増産に合わせて購入できる枚数等は変化した(3月5日には週3枚、4月9日には14日9枚となった)。システムもどんどん改善され、インターネットでの予約購入、コンビニのマルチメディア端末での予約購入など、購入チャネルが増え、より便利になっていった。


マスク地図アプリ
 マスク地図アプリが出来上がった裏にもドラマがある。台湾のマスク地図アプリに関しては、日本でも様々な記事で紹介されたが、台湾の「天才IT大臣」とも称される唐鳳氏の活躍がクローズアップされがちだった。しかし、唐氏は、自分は橋渡し役に過ぎなかったと言っている(写真1)。

写真1 唐鳳氏を称賛するSNS投稿に対して、唐氏が書いた返事

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  「マスクの乱」では、多くの人がマスクを求めてコンビニや薬局を訪ね回り、マスクハンターと化していた。そんな最中、民間エンジニアの呉展瑋氏が「マスク地図アプリ」を自作し、2月2日午前10時に無料公開した。自分の身近な人たちがもう少し簡単にマスクを見つけられたらいいな、という軽い気持ちでアプリを作ったそうだ。これは、利用者が自発的にマスク情報を入力することで、どこにマスクがあるのかを情報共有できるアプリだった。
 ところが、予想以上にアプリの利用人数が増え、Googleに支払う地図情報費用が嵩んだため(200万円以上)、呉氏は同日午後にアプリを停止した。ここで頓挫したように見えたマスク地図アプリだったが、その日の夜に呉氏はIT大臣である唐氏からの連絡を受け、地図アプリ構想について官民で協力することを話し合った。政府内でマスク実名購入制を検討していたところだったので、このアプリが有用だと唐氏は思ったのだそうだ。
 2月3日には唐氏の提案により、マスク在庫情報のオープンデータ化に関する協議が政府内で始まった。その後、多くの民間プログラマーが、唐氏が立ち上げたオープンソース式のソフトウエア開発に参加し、徹夜で開発作業を進め、2月6日の導入にこぎつけた。多種多様のマスク地図アプリが開発され、地図使用料はGoogleが負担した。国民は気に入ったアプリをスマホにダウンロードすれば良いだけだった。

 ここで特記すべきは、政府が民間にデータベース開示したという今までにない試みだ。マスクの在庫データは衛生福利部健康保険署(厚労省保険局に相当)のシステムで管理されている。このデータへアクセスしなければ、マスク地図アプリは成立しない。国内で一元化された在庫管理システムを今回の新型コロナにあわせて政府が改修・オープンデータ化し、そこに民間の知恵・工夫・活力が組み合わさった。唐氏という官民インターフェイス役が不可欠だったことは言うまでもないが、マスクの乱が新しい官民協業の形を台湾にもたらしたのだ、と「万事塞翁が馬」という諺を思い浮かべながら私が感動に浸ったのは、この全容を知った3月になってからだった。

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